編集後記
藤岡 紫浪
●日本はどうやら、密告が日常的に横行する、強権的な全体主義国家になってしまったようだ。賞味期限の改竄だの、牛肉や産地の偽装だの、これらはすべて、内部告発を利用しての所轄官庁の取り締まりなのだろう。もちろん行為そのものは道義的に許されるものではないが、集団食中毒を引き起こしたわけでもなく、ここまで断罪されるべき事犯とは思えない。考えてみれば、新しい裁判員制度も人民裁判と化す恐れがあるし、メタボリック症候群や喫煙者への過度な対策など、いささか予防検束的な措置と言えないだろうか。人々の自由や権利を守っていく民主主義的な国家や行政からますます遠ざかり、全体主義的な体制へと、歴史の歯車が確実に動いていると危惧するのは、私だけではあるまい。
●そうした傾向に拍車をかけているのは、マスメディアの政治や行政への目に余る迎合ぶりだろう。新聞など政党の広報紙と見まごうばかりで、組織や団体に属さない街の声を取材することは、ほとんど無いに等しい。あらゆる面で行き詰まりが明らかになって、もはや今の政治や行政をリセットしなければならないと、多くの人が痛感しているのに、政治に少しの空白も許されないとして大連立を企てたり、これ以上の規制や束縛を伴う法律の制定を声高に訴えるのは、どうしたものだろう。法律や条例など少ないのに越したことはないのであって、その膨大な量を処理するために役人の仕事を増やし、財政をますます硬直化してしまう結果となることに、そろそろ気づくべきではないだろうか。
●ともあれ、政治や行政をつかさどる官僚は、過去の事例にはやたら詳しくても、未来への予測については全く無知に等しいということを、しっかり認識しておくべきだろう。映画を例にあげれば、人々の映画的な教養を高めようと、古今東西の名画と呼ばれる作品を見せる立派な映像センターを全国各地に建造したとしても、閑古鳥が鳴くばかりで、決して未来への有効投資とはならないということだ。[藤岡]
●金大映研だより
新学期が始まり、今期の目標を「自炊」にした藤原です。煮豚はカチカチで、焼きギョーザのつもりが水ギョーザのスープなしになってしまった。料理は今まで使ってなかった頭を使うようで心地よいが、エネルギーの使い方がうまくいかず、台所に立っただけで、眠気に襲われる。僕はいつも、やろうと思ったことは、最初すごくやって、途中でぱったりやらなくなるパターンが多いから、これもいつまで続くものやら。駅シネの月誌は珍しく続いているものの一つだ。他に続いているものが思い浮かばないのは、月一回というのが、僕にとってとてもいいペースなのだろう。
そんな具をつめすぎたギョーザを包んでいる時、半年前ぐらいに観た「カモメ食堂」を思い出した。あちらはフィンランドのヘルシンキ、こちらは日本の金沢。あの映画が全体的にすごく明るかったのは、照明のおかげだけではないのだろう。小林さんが握ったおにぎりをあそこで食べたいと思った。
お腹がすいた時に、いつもと同じ場所にいつもと変わらない味があるのは特別なんだ、と思えた。ファーストフードはいつもと同じ場所でいつもと同じ足で同じ価格だけど、出してくれる人は違う。無駄なことは聞いてこないから、わずらわしさはないけど、どこか淋しい。
これを書いてたら、なぜか「世界はときどき素晴らしい」の松田龍平が出てたのが、頭に浮かんできた。スナフキンにはなれないな。[映研 藤原和樹]