映画に逢いにゆく
                       伊藤裕子
世界言語で語れる国へ

リサ・モリモト監督の『TOKKO』に続き、同じく日系アメリカ人のスティーヴン・オカザキ監督によるドキュメンタリー、『ヒロシマナガサキ』を観た。両者に共通するのは、日米双方の関係者に取材し、事実を公平に描くことで、悲惨な結果をもたらした原因は何か、二度と繰り返さぬためにはどうすればいいのかを、人々に考えさせようとする姿勢である。特攻にしろ、原爆にしろ、ようやく世界の人々と共有できる映画が現れた、と喜ぶと共に、なぜこれが日本で生まれた日本人にはできないのか、という歯がゆさもある。原爆を語っても、拉致問題を語っても、日本が世界から相手にされないのはなぜか。自国の加害責任に蓋をし、教科書からは抹消し、被害ばかりを言い立てるので、加害に鈍感なエゴイスト、として無視されるのだ。本来なら、核戦争の脅威に世界がさらされているこの時代、日本は唯一の被爆国として、オピニオン・リーダーになるべきなのに、歴史を因果関係で捉えられず、世界の中の日本が考えられないため、その言葉には説得力がなかったのだ。それを、この『ヒロシマナガサキ』は見事にクリアしたなと、日本軍のアジア侵略のシーンに始まり、真珠湾奇襲攻撃を経て太平洋戦争に突入するさまを、当時のニュース映像をつなげてテンポ良く紹介する導入部を見て思った。論理の流れが、世界共通語になっているのだ。後遺症についても、原爆を落とした側の論理の後なので、人々が知りたがる順序に沿っており、すごく自然で、インパクトがあった。
 『ヒロシマナガサキ』は、80年代の初めから広島・長崎を訪れ、500人以上の被爆者を取材してきたスティーヴン・オカザキの執念の作で、朝鮮人被爆者のキム・パニョンさんを含む14人の被爆者と、原爆投下に関与した4人のアメリカ人が登場する。兵器検査技師で、原爆をテストモードから作動モードに切り替えたモリス・ジェプソン氏は、あれよあれよと言う間のことで、いつでも起こり得ることだ、と証言する。機上から原爆の威力を見て呆然としながらも、これで戦争は終わった、と安堵するのだが、その時、地上では何が起きていたか。人々は巨大な火柱で焼かれ、爆風で飛ばされ、皮膚や内臓を垂らしながら、水を求めて死んでいく。当時10歳前後だった人々の記憶は今なお鮮烈で、黒焦げになった顔にハサミを入れられ、皮膚を剥がされたという笹森恵子さん、母親の死体に手を触れたら、パラパラッと崩れて灰になったという下平作江さんの話に息を呑む。ピカドンに遭った奴はうつるから向こうへ行け、と差別され、「こげん顔になって、死んだ方がまし」と引きこもったという吉田勝二さん。一見、傷が浅く、治ったと思われた人も、原因不明の病で死んでいく。「自分の診ている病気が何だかわからないのが、一番怖い」と語る医師。「戦争を終わらせるために原爆を使ったんだ。同情も後悔も全くない」という科学者のハロルド・アグニュー氏の言葉に、何を!と思うが、広島に原爆を落としたエノラ・ゲイの副機長ルイス大尉が、1955年、アメリカ諸団体の招きで形成外科手術を受ける「原爆乙女」達を引率して来た谷本牧師と対面したテレビ番組のシーンのように、被爆者と実際に向き合えば、そうではなくなることがわかる。ルイス氏の表情から、あの人も苦しんでいることがわかって涙が出た、と笹森さんは言う。作戦を遂行したメンバーを代表して寄付を申し出るルイス氏を、そんな安易なことで、と思う人もあるだろうが、まずは向き合い、出来ることから始めることが大切なのだ。これがアメリカ映画として撮られ、今年の8月6日に、全米のテレビで放映された意義は大きい。「原爆は戦争の終結を早め、日米両国民の命を救った」という神話を信じていた人も、論理的な筋道で語られる後遺症の現実や、恨みからではなく、二度と自分達のような被爆者を出さないために、傷をさらして伝えようとする広島・長崎の人々の姿に、考えが変わるかもしれない。
そして、不都合な真実を隠し、蛮行を美化する日本の神話も崩れる時が来た。沖縄戦での集団自決に、日本軍の強制があったことを削除した高校の教科書検定に、沖縄県民11万人の怒りが火を噴き、遂に「軍の強制」復活申請がなされる見込みとなった。「嘘を真実だと教えないでください」と言った沖縄の少女と、ようやく向き合える時が来たのだ。次は、アジアだ。友達とかくれんぼしていたところを拉致された12、3歳の少女もいたというのに、「従軍慰安婦は強制ではなかった」と言い張る日本政府の答弁は、本当に恥ずかしい。「横田めぐみさんは気の毒だが、アジアには日本軍に拉致された何万というめぐみがいることを、日本の人達は考えてほしい」と言った韓国の女性もいた。日本が世界の信頼を回復し、真に国際貢献をするつもりなら、まず、教科書を変えることだ。日本がアジアの国々で何をしてきたか、石油の利権に絡んだ戦争犯罪や国際的ルール違反を明記し、その果てに原爆があることを、しっかりと語り継ぐ必要がある。原爆被害を知ると同時に、なぜ原爆を落とされたかを、日本人は知らなければならない。そうでなければ、日本の唱える平和など、絵に描いた餅だ。世界言語で語れる国に、そろそろなろう。