12色のメロディー

 青のジャンプ
生田 きよみ


 太陽がのぼる。海が金色にそまっていく。ぼくは一日に二度、胸が騒ぐ。
 そう、朝日と夕日を見る時。こんなせまいプールでなく、大海原に出てみたい。自由自 在に泳ぎたい。あかんぼうの時、ファミリーのむれに守られて、青い青い海を泳ぎまわっ ていたかすかな記憶。それがせつなく、たまらなく懐かしくたちのぼってくるのだ。ぼくは いつからか、心に決めている。
いつか、きっと、ふるさとの海へ泳ぎだすのだと……。
 となりのプールを見る。かあさんと弟のリッキー。まだ眠っているのか、水面にほとん ど顔をださない。大きな、黒い影がゆっくりと動いていく。
リッキーはかあさんにぴったりくっついている。やきもちみたいな気持ちがわきあがる。
とたんにはずかしくなる。ぼくはもう十歳。体長六メートル。
体重六.三トン。ここ、みさきマリンパークの人気者、シャチ、オリバーなんだ。ぼくは、 思いっきり大きくジャンプした。
「オリバー、おはよう」
アカネさんだ。プールサイドにきてしゃがみこむ。ぼくは、水から頭をだして「おはよう」 っていう。アカネさんは、ぼくの顔を両手ではさんでキスしてくれた。化粧っけのない顔 は、せっけんのにおいがした。
「きょうもよろしくね、オリバー。ちっともじょうずにならなくてごめんね。オリバーにた くさんジャンプさせて。わたし、がんばる。だから、もうすこし待ってて」
 アカネさんの大きな目が不安そうにくもる。
 ぼくは、アカネさんのことならなんでも知ってる。一人前のトレーナーになるためにすご くがんばってること。ぼくとするスカイロッケトやダンスのために、ジムに通い筋肉をきた えていること。だれよりもはやくマリンパークにきて、だれよりも遅くまでいること。なか なか上達せず、プールサイドに手をつき、声もたてずにひっそりと泣いていたこと。ぼくた ちのえさ、ホッケの内臓をだれよりもていねいにぬいてくれること。ちょっぴりこわがりだ ってこと……。
「アカネさん、勇気だして。ジャンプなんかこわくないよ。こわいって思うから高く飛べな いんだ。ぼくといっしょに空高くまいあがるようなつもりで。おもいっきりね」
 ぼくはいっしょうけんめいしゃべりかける。だけど、ぼくは人間じゃない。キューン、 キュンというホイッスル音がひびくだけ。
「ありがとう、オリバー。はげましてくれてるのね。わかった。レイコ先輩めざしてがん ばる」
 アカネさんはぼくの頭をなでると、深く息をすいこんだ。

 今日は夏休み最初の日曜日。十一時、親子づれや若いカップルがプールサイドの観覧席 につきはじめる。アイスクリームやポップコーンを手にした人。わらったりつつきあった りしてる子供たち。
 場内アナウンスが流れる。
「おまたせしました。ただいまから、みさきマリンパークが世界に誇るシャチのショーが はじまります。水族館においでのお客様、外プールまでおいそぎくださーい」
 観客席はもう満員。今か今かと目をこらしている。
 プールのそでからスエットスーツ姿のレイコさんがさっそうと出てくる。ぼくのいとこ ホリーがゆっくりとパフォーマンス用のプールに泳ぎ出た。
「では、スカイロッケトをどうぞ!」アナウンスがつげる。
 レイコさんが胸にさげた小さな笛をふいた。ホリーは一メートル以上もあるまっ黒い背 びれを水の上に高々と突き上げ、ゆっくりとレイコさんのところへいく。レイコさんがプ ールに飛び込む。すぐにレイコさんとホリーはならんで泳ぎはじめる。と、ホリーとレイ コさんはプールの底めざして沈んでいった。
ホリーが水面に上半身をつきだす。ホリーの頭の上にはレイコさんがのっている。ホリー が頭を直角に起こした瞬間。レイコさんはホリーの頭の上に直角に立ち、空高くジャンプ。
観客がどよめいた。レイコさんの身体は空高く大きな弧を描いて水の中へ。水しぶきがた つなか、すぐにレイコさんが浮かびあがってきた。すごい拍手。
 プールサイドにあがったレイコさんの黒いスエットスーツからしずくがおち、太陽に てらされて光る。レイコさんは、にっこりほほえんでおじぎをした。
「おつぎは、シャチとのダンスです。これもひじょうに危険で高度な技です。ごゆっくり ごらんください」
 また、レイコさんがゆっくりと泳ぎはじめる。やがて、レイコさんとホリーは水深くも ぐっていった。レイコさんは立ち泳ぎしながらホリーをさがす。ホリーのすがたを見つけ ると、ぴったりよりそって、水面にあがっていく。
 ホリーがジャンプした。レイコさんはホリーの二つの胸ビレに片足づつのせている。だ きあってダンスしているようなかっこうだ。場内は一瞬の静寂。
すぐに拍手のあらし。大人も子供も立ち上がって喜んでいる。
 レイコさんはなんどもおじぎをしながら、去っていった。次のショーは、午後一時半と 三時半。今ごろ、レイコさんはへとへとの身体を休めていることだろう。シャチのトレー ナーってすごくハードな仕事なんだ。水圧がかかってたいてい腰痛がおこる。毎年、トレ ーナーめざして、たくさんの少女がやってくる。だけど、たいていは一年たらずでやめて いく。一人しか残らない年だってある。アカネさんはその一人だ。はいって三年目。もう あと少しというとこで足踏みしてる。
 一時半からのショーはぼくの当番だ。よーし、ホリーより高くジャンプしてみせるぞ。
ぼくの一番の楽しみはたくさんの人の拍手と、子供たちの喜ぶ顔。そして、ジャンプの瞬 間、遠くの海を見られるってこと。いつかぼくがいく青い青い海を少しでも長く見ていたい。
もう一つ。ジャンプ力をつけて、ぼくのいるプールからかあさんとリッキーのいるとなり のプールへ飛び込む。そのむこうが海なんだ……。

 レイコさんとのショーはかんぺきにできた。スカイロッケトもダンスも。なぜか、空高 くブリーチングまでしてしまった。子供たちの歓声がぼくの体じゅうにふりそそいだ。

   夕方、閉門のあと。アカネさんがきた。
「オリバー、今からつきあってくれる?なんだか、できそうな気がするの。オリバーがブ リーチングするの見てたら、勇気がでちゃった。いい?」
 ぼくはとても疲れていたけど、「いいよ」っていった。アカネさんにはやくりっぱなト レーナーになってもらいたかったから。そして、そして、アカネさんが一人前になったら、 ぼくは広い海へ出ていこうって決めてるから。
 ぼくたちは、何度も何度も練習した。いつのまにかレイコさんがきていた。
きびしい表情で大声をはりあげる。
「よーし、水中からとびだす角度はよくなった。あとはふみきりのタイミングだよ。おそ すぎるんだ」
「だめだめ。あんた、こわがってるもん。オリバーの上に、直角に立ってみな。こわくな いってば」
 ぼくは知ってる。なぜアカネさんがこわがるのか。以前、スカイロッケットの練習の時。
ジャンプに失敗して、ぼくの体の下になってしまい、水面になかなかでられなかったんだ。
きっとその記憶が恐怖心となって、思いきり高く飛べないにちがいない。
「失敗してもいい。何回もやって、体でおぼえるしかないんだよ」
 レイコさんは、水からあがったアカネさんの肩をたたくと帰っていった。
 アカネさんは、ふるえる冷たい顔をぼくによせ、ポロポロなみだをこぼした。
「オリバー、ありがと。わたし、自分がなさけないの。わかってるのに、体が動かない」
「もうあと少しだよ。アカネさん。秋になれば、ショーにでられるようになるよ、きっと。
ぼくのカンさ。あしたもいっしょにがんばろうよ、ね」
 ぼくがいうと、アカネさんはじっとぼくを見つめた。
「オリバー、ずっと、ここにいて。わたし、ちょっと不安なの。なぜか、オリバーがいな くなるような気がして」
 ぼくはドッキッとした。胸の奥がきゅんと痛んだ。
(ごめん、アカネさん。アカネさんのこと大好きだよ。でも、ぼくはやっぱり出て行く。 どうしても行きたいんだ)

 夜が静かにおりてきた。今日一日にあったことがつぎつぎにうかびあがる。
波音にさそわれ、ぼくはゆっくりと眠りについた。今夜も見るだろうか。青い青いふるさ との海の夢を。