さくら色のマフラー
生田 きよみ


 その年の春はさんざんだった。大学受験に失敗し、恋人も失った。 つぼみのまま茎を折られた植物みたいな気がした。なにもやる気がお きない。テレビを見ても、音楽を聞いても、頭にも心にもどんよりと 幕がかかり、届いてこない。新聞を読んでも活字だけが流れていった。 世界で、日本で起こっていることが、自分には関係のない遠いことの ように思われた。
 母はわたしの顔色をうかがいながら、おそるおそるいった。
「来年があるじゃない。予備校にいく手続きしてきたら?」
 ほんと、自分がこんなに意気地なしとは思ってなかった。今まで、 すべてが順調にいきすぎたせいだろうか。たった一度の入試に落ちた だけなのに。はじめての挫折にうつうつとした日々を送っていた。  同じ大学を受けて合格した恋人は、やさしく元気づけてくれた。
「来年、きみが入学してくるのまってるからね」
 こういいながら、彼の身体はもう、前をむいていた。この北の田舎町 から出ることばかり考えているのがよくわかる。しかたのないことだった。 わたしだって、大学に合格したら、街からでていくはずだったのだから。 これ以上、自分が傷つかないように、わたしから彼にさようならをいった。

 三月中旬。わたしは、へんに気をつかいすぎる母親がうっとうしくて、 外に出た。ひさしぶりの外出。
道の両側には雪がうずたかくつみあげられ、車の排気ガスで黒ずんでいる。 町はまだすっぽりと白でおおわれていたが、陽射しはおどろくほど強く明る くなっていた。
 U公園へと足をむけた。あまり人に会いたくなかったからだ。静かな公園。 裸木がまっ青な空にあいさつするように枝をのばしている。エゾ松やイチイ、 ヒマラヤ杉の常緑樹。緑の葉かげからのぞいている赤い椿の花。木から木へ と飛びかう小鳥のさえずり。鈍くなっていた感覚がしだいによみがえってくる。
 一人でこんなにのんびりと歩くのは、ほんとうにひさしぶりだった。今ま ではいつも、かたわらには彼がいた。彼といるときは、椿の花も小鳥も目に はいらなかった。
 木々のしげみからぬけでると、テントが見えた。人だかりがしている。い せいのいい若い男のかけ声が聞こえてきた。
「さあさ、お安いよ。お徳だよ。幸せのマフラーはいかが」
 幸せのマフラー、いかがわしいひびきにそそられて近づいてみた。テント の中そまつな机の上には色とりどりのマフラーが山とつまれている。赤、青、 黒、茶、グレー、白、オレンジ、紫・・・・・・・パレットに絵の具をひっ くりかえしたようなあざやかな色。どれも模様のないガーター編のマフラーだ。
 机のすみに若い女の人が腰掛けて、わき目もふらず二本の編み棒を動かして いる。手品のようにすばやく糸を繰り出していく。
「買った、買った。一枚千円だよ。今年はいつまでも寒いね。まだまだマフラ ーが必要だよ。このマフラー、この妹が編んだんだよ。妹は目が見えない。だ けど、見て、見て。なんと、こんなにきれいに編めるんだ。盲目の妹が心をこ めて編んだマフラー。幸せをよぶって評判さ。ほんとだよ。それがたったの千円。 安いね。さあ、買った、買った。自分のも、おとうさんやこどもさんの分もまと めてかってよ」
 女の人が顔をあげた。すきとおるように白い顔だ。黒目がちの大きな瞳をわた したちのほうにむけると、ていねいに頭をさげた。
「こんなきれいな目が見えないなんて信じられないだろ?でもほんとうなの。五 歳の時、病気で視力をなくしちゃったんだ。それからのがんばりはすごかったよ。 料理から編物、目の見える人とおんなじくらいなんでもできるの。でも、兄貴と してはさ、もう一度この雪景色やここにあつまってくれてるお客さんの顔とか見 せてやりたいなって・・・・・・・」
 男が目をしばたいて声をつまらすと、おばさんたちは手に手にマフラーをつか んで買った。机の上のマフラーはあっというまに売り切れた。
 男がテントや机をたたみはじめても、わたしはまだつったっていた。
「おねえさんもほしかったの?悪かったね。もうなくなちゃって。こういう時はさ 、はやくつかまなきゃ。またいつかくるからさ。まっててよ」
 男はテントやダンボールを運びはじめた。
 女の人のひざには編みかけのブルーのマフラーがのっている。この町の海のよう な深い青だ。とつぜん、女の人が話しかけてきた。
「あなた、この青いマフラーがほしいのね。でも、今はこの色、やめたほうがいい と思うの。さびしすぎる色だもの。ますますおちこむわよ。これなんかどう?」
 女の人は足元のカバンからピンクのマフラーをとりだして、わたしにさしだした。
「あの・・・・・わたしに?」
「ピンクじゃなくて、さくら色っていってね。わたしの一番すきない色よ。このさ くら色のマフラーは売らないの。いつも、何枚も編んでこっそり持ってて、あなた みたいな人にあげるの」
 女の人はにっこりほほえんだ。
「わたしにはね、目が見える人よりよく見えるときがあるの。毛糸の色だって、青 と白では手ざわりがちがうわ。小さい時からずっと編んでるんだもの。編物してる ときが一番幸せ。さあ、どうぞ」
女の人は立ち上がると、わたしの胸にマフラーをおしつけた。
「好きになってくれるといいけど」
 わたしはどうしていいかわからずに、マフラーを手に持った。サイフをだそうと してコートのポケットをさぐる。
「お金はいらないわ」
「でも・・・・・・・」
「わたしね、悲しいことがあると、さくら色の毛糸をとりだしてマフラーを編むのよ。 すると、いやなこともぜんぶ消えて心がさくら色にそまるの。さくらの花がさくみた いにね。兄がくるわ。早くバッグにしまって」
 女の人は早口でいうと、椅子にすわって、編物をはじめた。ふりむくと、うそみた いに、男が近づいてきていた。わたしをジロリと見てから、女の人にいった。
「まだかたずけてなかったのか。暗くなる前にM市までいかなきゃいけないっていったろう」
 男は乱暴に残りの荷物をダンボールにつめはじめた。女の人は編みかけのマフラーを カバンにつめた。わたしに話しかけてきた時とは別人のようにかたい表情でツエをつき ながら男のあとからついていった。
 風がでてきた。わたしはバッグからマフラーをとりだすと、つくづくながめた。さく らの花のようにやさしいピンクだ。そっと首にまいてみる。軽くてまとわりつくような やわらかさだ。じきに首がほっこりとあたたかくなってきた。女の人がいった言葉がつ ぎつぎうかぶ。お金をはらわなかったことがくやまれた。ありがとうさえいわなかった。

 一年後、わたしは地元の大学に合格した。ほんとうにやりたいことが見つかったのだ。 ただ漫然と大学を決めるのでなく、将来の目標を持ってすすむ喜び。一年間でわたしは ほんとうに変わったと思う。
 三月になると、毎日のようにあの公園に行ってみた。もう一度、あの女の人に会いた いと思った。だけど、会えなかった。

三年がたった。わたしは公園近くの喫茶店で友達と待ち合わせをしていた。ドアが開いた 。二人連れだった。若い男と牛乳ビンの底のようなぶあついメガネをかけた若い女の人だ った。
「おーさぶー」男は手に息をふきかけながら、わたしのすぐ前の席にすわった。女の人の 顔は見えないが男の顔ははっきりと見える。公園でマフラーを売っていた人だ。
「なんかあったまるもの食おうぜ」
「えーと、なににしようかしら」
 女の人はテーブルに顔をつけるようにして、メニューを見た。
「わたしはあつあつのドリアとコーヒー。あなたは?」
「おれもそれにしようかな」
 二人は注文しおわると声をひそめた。
「ねえ、わたしたち、そろそろまともな商売しようよ」
「またその話か。店持つにはびっくりするほどたくさんの金がいるんだ」
「ちいさなお店でいいの。わたし、朝から晩まで編むから。セーターにワンピース、かわ いい小物、ひざかけ、ぼうし。なんでも作れるわ」
「たしかにおまえが編んだものは高く売れる。外で山につむのはアジアからの輸入品。今 までだって、もうかったじゃないか。こうして気楽に商売したほうがいいよ」
「もう、いやなのよ。目が見えないとか、妹だとか・・・・・人をだますのことが・・・・」
「だますなんて人ぎきの悪い。メガネかけてもほんのすこししか見えないじゃないか。そ んなの見えないとおんなじだ」

 気がつくと喫茶店の外に出ていた。
 バッグのなかからマフラーを取り出してながめる。きれいなさくら色、やさしい手ざわり。 あの日がくっきりと浮かび上がる。うつむいて懸命に編み棒を動かしていた彼女。すみきった きれいな瞳。まるでわたしの心が見えるかのようにいった言葉・・・・・。もしかしたら、 さっきの二人連れは別人かもしれない。
 打ち消そうと思ってもだめだった。自分の気持ちを持て余した。しばらくすると、わたし は自分のことばかり考えていることに気がついた。彼女の人生を想像した。
(このマフラーはあの人が心をこめて編んでくれたんだ。マフラーを巻いたらほんとうに元 気がでてきた。さくら色が全身にしみだすように・・・・・・・・・。それだけでいいじゃない・・・・・)
 そこへ友達が走ってきた。
「ごめーん、おそくなって」
 わたしはしっかりと首にマフラーを巻いた。あたたかさが体中にひろがっていく。
 見上げる青空はもうすっかり春の色だった。