赤い川 |
生田 きよみ |
春休み、今年も孝子叔母の家に行った。いつもの年と違うのは、わたし一人だということ。かあさんは仕事の関係であさって しかこられない。 電車で一時間も走ると、窓いっぱいに山がせまってきた。あちこちにやわらかい黄緑やうす茶色の新芽が萌え出ている。 孝子叔母はかあさんの妹だ。15年前山あいの町を旅してた時、みやげ物店の叔父と知り合い結婚したそうな。孝子叔母すらり と背のたかい美しい人だ。ずんぐりしたかあさんとは全然似ていない。だけど、わたしは孝子叔母がちょっと苦手。なぜだか こわい。もしかしたら、叔母が飼っているたくさんのきんぎょのせいかもしれない。かあさんは、なにかというとわたしを叔 母のところに行かせたがる。 「叔母さんには子供がいないでしょ。あなたが行ってあげると喜ぶのよ」 若くして結婚した叔母は、1年後たっくんという男の子を産んだそうだ。でもたっくんは2歳半のとき亡くなってしまった。 それから叔母は少しへんになってしまったのだそうだ。 「なんで死んじゃったの、たっくん」 わたしは何回聞いた事だろう。かあさんはいつだって「病気で」というばかり。今度も来る前に聞いてみた。 「ねえ、たっくんのことおしえて。わたし、今度中学生になるんだよ。それに、はじめて一人で泊まるんだから。おしえてく れなきゃ行かない」 「孝子叔母さんと約束したの。いわないって。あさってには迎えに行くから。お願い、行ってあげて」 かあさんは、すごく悲しそうな目でわたしを見た。わたしはあのかあさんの目に負けてしまった。 いろいろ思い出しているうちにT駅についた。電車をおりるろタクシーにのった。叔母の住むこの町はほんとうにきれいな町 だった。碁盤の目のような通りと水路にそって、家々や旅館、食べ物屋、みやげ物店が軒をつらねている。しっとりとおちつい たこの町にくると、わたしまでもが上品になったような気がしてくる。 叔母の家の左隣は蕎麦屋さん。店先に杉の葉でできた大きな丸い玉がぶらさがっている。右隣は味噌屋さん。味噌のいいかお りが漂ってくる。 叔母の店の前には石の大きな水槽がある。その中に30匹ほどの赤いきんぎょが水草や藻のなかでゆらゆら泳いでいる。 店には着物の布で作ったランチョマットやコップしき、巾着。和紙でできた人形、ブローチ、壁飾り。かごやつまようじいれ、 花入れなどの竹製品、湯のみや小皿・・・・・・・。いろんな物がせまい店内に整然とならべられているた。どれもセンスがよ くてかわいらしかった。この町へ旅した女の人や若い女の子たちに喜ばれそうなものばかりだ。布製のものは全部叔母の手作り、 竹製品や焼き物は叔父が仕入れてくるという。 わたしが入っていくと、おじが店番をしていた。 「マヤちゃん、いらっしゃい。まってたよ。いやあ、こりゃまた背がのびたこと。孝子、孝子、マヤちゃんがきてくれたよ」 叔父は小柄な身体をのばして、店の奥へ声をかけた。 「まあ、マヤちゃん、よくきてくれたわねえ」 叔母が出てきた。神を後ろでひとつに結い上げ、深い藍色の着物に白っぽい帯をしめている。叔母はわたしの旅行カバンを持 つと、奥の部屋へ案内してくれる。そこは10畳ほどの和室でいつも泊めてもらうところだ。窓があるが、北向きなので薄暗い。 壁側の大きな水槽には数え切れないほどの赤いきんぎょがいた。記憶のあるかぎり、叔母の家にはずっときんぎょがいた。ちゃ だんすの上に小さいガラスのきんぎょ鉢がおいてある。一匹のきんぎょがじっとしていた。 「この子、病気なの。ほかの子達につつかれるといけないでしょ。だから移したのよ」 叔母はきんぎょ鉢を両手でつつんだ。 お茶をのんでから、わたしは晩ごはんの手伝いをした。手伝うといってもおはしを並べたり、野菜を洗ったりするくらいだった けど。 7時、店を閉めた叔父もきてごはんになった。ヤマメの塩焼きや山菜、ほうば味噌、つけもの。家ではあまり食べられないもの ばかりだった。 叔父も叔母もわたしの両親とちがって、無口だ。わたしが食べるのを目を細めて嬉しそうに見ているばかり。 叔母はごはんのあと、色とりどりのはぎれをだしておてだまを作りはじめた。わたしもまねをして、針を持つのだがなかなかう まく縫えない。 「おばさん、じょうずねえ」 「ありがとう。縫い物はだいすきよ」 「おばさんち、いつもきんぎょがいっぱいるでしょ。どうして?」 おもいきってきいてみた。帳簿をつけていた叔父がふっとつぶやいた。 「あれから10年もたつのに・・・・・・・・。もうもどってこないのになあ」 叔母が叔父をきっとにらんだ。とこどき叔母はこんな強い目つきをする。叔父は気弱そうな顔をいそいで帳面におとした。 叔母の家ではじめて一人で寝る夜。昼間の観光客はどこへ行ったのか、そとはしーんと静まり返っている。家がみしりと鳴る。 なかなか寝つかれない。きんぎょ鉢に小玉電球のあかりがぼうーとあたっている。そっと起きてきんぎょをながめる。ほとんど動 かない。きんぎょのはく息がかすかなあぶくとなって水の上にあがっていく。きんぎょが叔母に重なる。わたしをじっと見つめて いるようでこわい。ふとんをあたまからかぶる。 朝、ほうちょうの音で目がさめた。着換えをすますと、きんぎょに目がいった。きんぎょが横になって浮かんでいる。びっくりし てきんぎょ鉢をゆすってみた。が、きんぎょは白い腹を見せて浮かんだままだ。 わたしはきんぎょ鉢をかかえて、台所へといそいだ。たっぷり水がはいっていてかなり重い。廊下に出るとき、敷居につまづい てバランスをくずしてしまった。 ガッシャーン 大きな音に叔父と叔母が同時にとんできた。叔父はわたしのところへ。叔母は床に投げ出されたきんぎょのと ころへ。 「ごめんね、助けてあげられなくて、ごめんね」 叔母は手のひらにきんぎょをのせて、おろおろしている。 「マヤちゃん、だいじょうぶか。けがしなかったか」 叔父はしつこいくらいにわたしの手や足を調べる。おばははじめて気づいたようにわたしを見た。 後片付けがおわると、叔父は叔母の手をひいて2階へあがっていった。なにを話しているのだろうか。二人は一時間くらいして おりてきた。 「ごはんを食べたら、マヤちゃんも手伝ってくれるか」 叔父がいった。気まずいあさごはんがすんだ。 「さあ、行こうか。孝子、ほんとにいいんだね」 叔母はかすかにうなづく。叔父は壁際の水槽から網できんぎょをすくうとバケツにいれた。 店先にある水槽のきんぎょも全部バケツにいれた。 「マヤちゃんもおいで」 叔父は二つのバケツを手押し車にのせると、歩き始めた。10分も歩いただろうか。町をすぎると、たんぼや畑がひろがってき た。叔母の足取りはだんだん遅くなる。やがて、幅1メートルほどの細い川に出た。川にそってなおも歩くしばらく行くと叔父が たちどまった。 「このへんだったなあ」 叔父は土手にしゃがみこんだ。そして、バケツを持ち上げると、そっと水を川にあけた。川に出てきんぎょはとまどったようにじ っとしている。 「さあ、孝子もやってごらん」 叔父にうながされて、叔母はもうひとつのバケツを川にかたむけた。と、先にはいったきんぎょが数匹、泳ぎ始めた。すると、 きんぎょたちはつぎつぎに泳ぎだす。おびれをひらひらゆらして、泳いでいく。赤いもようとなって流れていく。 叔母の白い頬を涙が伝う。 「ごめんなさい、おばさん。きんぎょ鉢落として。朝起きたら、もう横になって浮かんでたの」 「マヤちゃんのせいじゃないのよ」 「ちょうどいい機会だったのさ」 叔父もいった。 「たつひこはね、2歳半の時、この川に落ちて死んでしまったんだよ。わたしたちがほんの少し目をはなしたすきにね。夜店で 買ったきんぎょをそれはそれはたいせつにしててね。まわらない下で「あかいおとと、あかいおとと、きれい」といっていつも 見てたんだ」 「たっくん、よろこんでいるかしら」 「もちろんさ。あんたがいつまでも過去ばかり見ていたら、たっくんも悲しがるよ」 「この川、家の前の水路に通じてるでしょ。きんぎょたち、きっとまた、会いにきてくれるよね」 叔母は大きく息をすいこんだ。わたしたちはあたたかい春のひざしのもと、遠ざかっていく赤い川の流れをいつまでも見ていた。 |