桜色の筆箱 |
西川 なつみ |
神社の石段の一番上に座り込んだまま、サチはさっきから「ふうっ」とため息ばかりついています。 「ふーむ。どうしたんじゃろう。サチは何だか元気がないようじゃのう」 ミャーン 足もとでねこのミィが、おじいちゃんの言葉に答えるように頭をすりよせてひと声鳴きました。 「いつもは友達と元気に遊んどるのに、きっと学校で何かあったんじゃ!」 おじいちゃんは心配のあまり身を乗り出し過ぎて、今にも落っこちそうです。 おじいちゃんがどこにいるのかって? それは、雲の上! おじいちゃんは、サチが二年生になったばかりの去年の春、なくなりました。 おじいちゃんに買ってもらったランドセルをカタカタならして、サチは学校から病院まで力いっぱい 走りました。サチがハァハァ息をきらせて病室についたとき、おじいちゃんのほっぺも手もまだあった かくて、まるで眠っているようでした。病院の中庭の大きな桜の木がちょうど満開でした。 おじいちゃんに一番なついていたミィは、そのあと急にエサをたべなくなってしまい、ちょうど一週 間後、姿を消してしまいました。 「くやしいのぉ。サチの心が見えん。サチは幸せな子になるようにと、わしがつけた名前なんじゃ。あ んな淋しそうな顔はサチには似あわんぞ。なぁ、ミィ」 おじいちゃんはミィの真っ白なふわふわした毛をやさしくなでてやりました。縁側でひなたぼっこを していた時のおじいちゃんとミィの姿とちっとも変わりません。 でも、ただひとつ違っていたのは、おじいちゃんのひざの上で気持ち良さそうにしているミィの背中 に小さな可愛い羽根があることです。 サチは立ち上がると、ゆつくりと石段を降り始めました。手には黄色いリボンのついた小さな紙袋を 持っています。 一番下まで降りたサチは、ふり返って神社の大きな鳥居を見上げました。 しばらく、何か考え込んでいたサチは 「そうだぁ」 と大きな声で言うと、石段を勢いよくかけ上がりました。二つに結んだおさげも、左右に大きくゆれています。 「いったいどうしたんじゃ」 サチは、鳥居をくぐり神社の境内をまっすぐかけぬけると、おさい銭箱の前に立ちました。 「神様・・・」 と、つぶやいたそのときです。 「よし、いまじゃ。今ならサチの所に下りて行けるぞ」 天国には、きまりがあるのです。 家族のだれかが、おじいちゃん・・とか、神様・・って、手を合わせない限り、いくら心配でもみんな のそばには行けないのです。 「神様・・・」 その言葉にあわせておじいちゃんは、光のすべり台を使って、あっという間にサチのすぐ横に降り立ち ました。もちろん、おじいちゃんの腕の中にはミィもいます。 「神様。サチのお願いをきいて下さい」 「ふむ。どうしたんじゃ」 サチには、おじいちゃんの姿は見えないし、もちろん声も聞こえません。 「サチは今日、仲良しのみさちゃんの筆箱を、ふざけてかくしました。すぐに返したんだけど、手がすべ って落っことして、すみっこがわれちゃったの・・」 「それでしょんぼりしておったんじゃのう」 おじいちゃんはミィを降ろしてやると、おさい銭箱のすぐ横にこしかけて、うで組をしました。 「きれいな桜色のセルロイドの筆箱でね。みさちゃんのお母さんが子供の時におばあちゃんから買っても らって、お母さんはそれを大切に大切に使って、今度はみさちゃんにプレゼントしてくれたんだって。だ からみさちゃんの宝物なのに・・・」 サチの目から涙がひとつぶ、合わせた手の上に落ちました。 「意地悪しようって思ったんじゃないんだよ。みさちゃんが転校生のかなちゃんにあんまり親切でやさし くて、あんまり仲良ししてたから・・大切な筆箱こわす気なんてなかったのに・・・ごめんって言えなか った。 「今日はみさちゃんの誕生日なのに・・・」 おじいちゃんはサチの頭にやさしく手をおきました。 すると、サチは心がポッと暖かくなって、涙があふれてきました。ミィが心配そうに、サチの足に頭をす りよせています。 「よしよし、わかったからもう泣くな」 サチは、もう一度手を合わせました。 「神様、どうやったらみさちゃんと仲直りできるか教えて下さい」 その時、もう一粒涙が真っすぐに落ちて行きました。涙はサチの足もとにいたミィの羽根に落ちたのです。 「ミィャーオ」 サチはびっくりして足もとを見ました。 「ミィちゃん」 「サチ、ミィが見えるのか?」 サチはおじいちゃんの声には答えずに、しゃがんでミィを抱き上げました。 「ミィちゃん、やっぱり生きていたんだ。どこに行ってたんだよぉ」 ミィもうれしそうにサチの顔に頭をすり寄せて目を細めています。サチがミィをひざに乗せ背中をなで てやると、ふしぎなことにサチの手はミィの小さな羽根をすり抜けてしまいます。 「なるほど、サチにはミィの羽根が見えておらんのか」 「きっと神様が、ミィちゃんをつれてきてくれたんだね。ありがとう。神様」 サチはミィをしっかり抱いたまま、お社に向かって頭をさげました。 ミィをだっこして頭をくっつけていると、一年生になったばかりの春のことを思い出しました。 あの時も、縁側でミィを抱いてサチは泣いていました。 「どうしたんじゃ?」 おじいちゃんはサチの顔をのぞき込むと、頭に大きな手をおいて聞いてくれました。 サチはポツンとつぶやきました。 「とび箱」 「とび箱がどうしたんじゃ」 「・・・コワイ」 そのとたん、おじいちゃんガハハッと大きな口をあけて笑いだしました。ポカンと見上げているサチに 「すまん、すまん。わしもサチくらいの時に、こわくてこわくてしょうがなかったもんがあるんじゃ。そ れを思い出しとったんじゃ」 「おじいちゃんは何がこわかったの?」 おじいちゃんは、まわりを見回して 「ばあさんには絶対ないしょだぞ」 というと耳もとで 「押入れじゃ」 とサチにだけ聞こえるような小さな声でいいました。 「押入れ?」 「そうじゃ、わしはあの暗いのが苦手でな、せまいはずの押入れが目をつぶっていても開いても果てしな く続いているような気がしてならなかったんじゃ」 「おじいちゃんは今でも押入れがこわい?」 「なぁに、一日中だって入っていられるぞ。わしがこわがるもんだから母さんが、じいちゃんの母親がな 、じいちゃんがいたずらをするたんびに押入れにいれよって、おかげでこわくなくなった。人間は強くな るもんじゃわい」 ガハハッ! おじいちゃんの笑い声が聞こえた気がしてサチは顔をあげました。 「ミィちゃん、おじいちゃんはいつも笑ってたね。大きな口あけて、ガハハッて」 サチがおじいちゃんのマネをして笑ったとき、おじいちゃんがいつも言ってたことを、一つ思い出しま した。 「サチ、悲しいことやつらいことがあってもなぁ、そんなときこそ笑うんじゃ。笑っとる人には自然と福 の神さんが寄って来るんじゃ」 サチはミィを顔の高さまで抱き上げると、ミィに向かって口をイーッと開いて笑い顔を作ってみました。 ミィはされるままに足をぶらさげて困ったような顔をして、サチを見つめてミィャーンと小さな声で鳴き ました。 「ミィちゃん、私みさちゃんちに行って来るよ!」 サチはミィをだいたまま神社の石段をかけおりました。プレゼントの黄色いリボンもピョンピョンはず んでいます。 サチは、みさちゃんの家の玄関の前にたつと、もう一度ミィを抱きしめました。 「何だかふしぎだね。ミィちゃんを抱っこしてるだけで勇気がわいてくる」 「そりゃあ、そうじゃろう。何しろミィには羽根がついとるんじゃ。サチの心も軽くなるはずじゃ」 おじいちゃんは、後ろからサチの背中をやさしく押してあげました。 「さぁ、行っておいで。サチの気持ちはみさちゃんにちゃんと伝わるはずじゃ」 サチはおじいちゃんの声が聞こえたみたいにうなずくと、玄関のチャイムを鳴らしました。 「はーい」 家の中からみさちゃんの声がします。サチはドキドキしてプレゼントの袋をにぎりしめました。 玄関のドアが開きました。 「あれっ、サッちゃん」 みさちゃんは、そう言ったっきり言葉が続きません。 「・・・これ」 プレゼントを差し出すだけで、サチも下を向いてしまいました。 ちょっと間をおいて、みさちゃんが言いました。 「わたしに?」 みさちゃんはプレゼントを受け取ると 「開けていい?」 と、つつみ紙をやぶらないように大切に開いて行きます。中には黄色いエンピツと消しゴムが入っていました。 「わぁ、かわいいプーさんだぁ。サッちゃん、ありがとう」 サチが顔をあげると 「みさちゃん・・・筆箱ごめんね」 と、やっとはっきり言えました。 「ううん。もういいよ。あっ、そうだ。ちょっと待っててね」 と言うと、みさちゃんは家の中に入って行きました。 しばらくすると、みさちゃんは赤いリボンの付いた箱を持って来ました。 「ママがプレゼントしてくれたんだよ」 みさちゃんが開けたその箱の中から出てきたのは、サチのこわしてしまったあの桜色の筆箱でした。 「ママがね、なおしてくれたの」 かけてしまった所には、桜貝が花びらみたいにはってありました。 みさちゃんは、サチからもらったエンピツと消しゴムを、その筆箱に並べました。 「サッちゃん、ありがとう」 みさちゃんの言葉にコックリとうなづいたサチの手から抱いていたミィが外へ飛び出しました。 「あっ、ミィちゃん」 ふりむいたサチは、びっくりしました。ミィはまるで誰かに抱かれているように宙に浮いていました。そし てミィの羽根が虹色に輝いたとき、おじいちゃんの姿が見えたのです。 でも、すぐにおじいちゃんとミィは 、光にとけるように消えてしまいました。 サチは心の中でつぶやきました。 (おじいちゃん、サチはもう大丈夫だよ) |