全日本学生選抜能登半島一周駅伝
石川県の能登半島で、1968年から1977年までのあいだの11月下旬に3日間の日程で、
26区間341.6kmという、箱根駅伝に勝るとも劣らない規模の駅伝が行なわれていたことを、ご存知でしょうか??
それが全日本大学選抜能登半島一周駅伝です。
富山県の高岡市読売新聞支社をスタートして、初日は10区間141.8kmで能登半島の最北端の珠洲市まで、
2日目には珠洲市から輪島までの5区間70.6km、最終日は輪島から金沢の石川県庁までの11区間129.2kmという、
壮大な駅伝が過去に行なわれていました。
その全日本大学選抜能登半島一周駅伝について、分かる範囲内で調査しました。
不明な点が多すぎて申し訳ありませんが、判明分につきまして、報告いたします。
3日間の日程で行なわれるこの大会、箱根駅伝でいう往路、復路争いではなく、
初日の合計、2日のみのトータル、初日から2日目までのトータル、
3日目のみのトータル、そして総合計の5分野での記録が出ています。
また、選手に関しては、これも箱根と違って一人の選手が2回走っても、
3回走ってもよかったようです。3日間連続で区間賞をとった選手もいました。
何人の選手登録が可能なのかについては、不明です。
写真を見ると、大学名の入った自衛隊のジープが伴走しており、
過去の箱根駅伝の名物だった監督車があったようです。
出場チームについては、東北学連選抜、北海道学連選抜、北信越学連選抜という、
3つの選抜チームに、9校の単独校出場で、合計12チームの出場です。出場資格については不明です。
この大会が廃止になったのは、残っている資料にはそのことについては記載されていませんが、 寺井クラブの中村さん(本大会2回経験)によると 監督車(自衛隊のジープ)に乗っていた学生が、ジープが発車した反動で後ろにひっくり返り、 地面に落ちて頭を打ったという事故があったみたいです。 それで、その後自衛隊の方が協力を渋ってしまって 廃止になったという話を聞いたそうです。
第1回大会 昭和43年(1968年)11月14日〜17日 24区間345.8km
第2回大会 昭和44年(1969年)11月21日〜23日
第3回大会 昭和45年(1970年)11月21日〜23日
第4回大会 昭和46年(1971年)11月21日〜23日
第5回大会 昭和47年(1972年)11月24日〜26日
第6回大会 昭和48年(1973年)11月23日〜25日
第7回大会 昭和49年(1974年)11月22日〜24日
第8回大会 昭和50年(1975年)
第9回大会 昭和51年(1976年)11月21日〜23日
第10回大会 昭和52年(1977年)11月21日〜23日
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コースについては、26区間ではありましたが、 第5回までは、総合計の距離がすべて違っており、第6回大会から341.6kmに固定されました。 区間は以下のとおりです。
第1日目 高岡〜珠洲 10区間 141.8km
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第2日目 珠洲〜輪島 5区間 70.6km
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最終日 輪島〜金沢 11区間 129.2km
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謎だらけのこの大会ですが、じっくりと解明していこうと思います。 また、有力な情報や、エピソードなど随時募集しています。 今も、この駅伝が残ってくれていれば、 金沢経大の学生や、北信越の学生たちとって、いい目標、いい刺激となるのでしたが、残念でなりません…。 過去に石川県でこのような駅伝があったことに、驚いています。