「督軍従事」
与えられた役職が、己を指しているのだという事に、馬超は幾らか間を置いた。
河東の地に到達した馬超は、己をそう呼んだ男に眼を向ける。風が、強かった。その風に吹き上げられる白の披風(マント)をはためかせる馬超の前に、その男はいる。鎧を着けてはいるが、文治の官であるその男には、いわゆる武官が持つ逞しさともいうべき気概が少ない。戦の中にありながら、己で矛(ほこ)をとり戦うには脆弱とすら見える。
しかし、その肚(はら)は据わっている。馬超の眼には、そう見えた。力を以てそれを除こうとしたところが、地についた足は決して動かぬのではないかという、いわば性情の剛毅さともいうべきものが、面貌に顕れていた。
鐘ヨウ、字(あざな)を元常という男である。率いる兵を背後に従えた馬超は、その男を見据えたまま叉手し、僅かに身を屈めた。
「扶風郡の馬氏、馬寿成(馬騰)が長子、馬超」
慎んで司隷校尉どのが指揮の下(もと)に入り、賊徒を討ち果たさんことを。
司隷校尉とは、鐘ヨウの事である。馬超の声は、つよい風の中でも明瞭に通り、その乾いた声のあざやかさに、鐘ヨウという男は頷き、幾分疲れを見せる頬に、ちらりと笑みを浮かべた。
「馬氏が御曹司の一軍あらば、この乱もすぐに収まりましょうな」
お待ちしておりましたぞ、とかれは馬超に礼を返し、その所作には媚び諂うところも、逆に尊大さもない。ただ、来るべきものが来たという率直な喜びのみがあり、馬超はそれに頷くと、配下というよりは寧ろ賓客を扱うが如くの、その男の背後に付き従った。
司隷という地がある。その内に長安・洛陽という都を内包し東西に伸びる要地である。かつて董卓が天子を擁し、強引なる遷都を行なった長安は、その強引さゆえの軋みに悲鳴をあげた。また董卓亡きあとに暴威を奮った李カク・郭シという董卓の子飼いであった遺臣が天子をわがものとし、恣(ほしいまま)に掠奪し、また己が軍中で内紛を繰り返したがゆえに、その長安の周縁の三輔(さんぽ)と呼ばれる直轄地は荒みに荒んでいた。飢餓と掠奪で人民の殆どが二年のうちに死に絶えたとも云われた程である。それは建安の元年に曹操が天子を保護して許昌へ移し、また翌年に李カクを討ち果たすまで続いた人為の災害であるといってよい。
その長安・洛陽の近辺である三輔の地に再び人民を移住させ、戸数を増やし、どうにか収穫を安定の域へ落着かせ、都市としての豊かさらしきものを甦らせたのは、この司隷と呼ばれる地に司隷校尉(責任者)として任じられた、鐘ヨウの手腕といってよい。
彼はかつて長安において李カク・郭シの暴政の許にありながら、その天子の側に侍り、曹操と天子との間に一縷の糸を繋ぎ続けた。のちに窮まった李カクが天子を手中にしたまま軍を動かそうとした折、機を見て天子を救出して長安より脱出させ、曹操の許へと送り届ける事ができたたのも、内部で動いた鐘ヨウの働きが大きいだろう。彼に司隷校尉としての任を与えた曹操が彼に寄せた信頼の大きさは、即ちこの地を治めることとなった彼の手腕と、天子という大義のかたちを曹操に託した実績とに基づいている。
そして今や許昌に天子を頂く曹操は、司空の位について、天下に並びなき実力者となった。彼と双(なら)び立ち、兵力においてはそれを凌駕すると謳われた四世三公の名族である袁家の存在も、先年それを率いる袁紹が官渡において大敗したことにより、壊滅したといってよいだろう。その折にも、司隷において後方を固めた鐘ヨウの存在は大きい。
その鐘ヨウが陣取る司隷の北部―――河東の地において、乱はおきた。
袁紹が落延びたまま病の床に伏したといえど、その次子である袁譚、末子であり最も袁紹に愛された袁尚は未だ、曹操に抵抗を続けていた。己の地盤である北方へ逃れ、曹操と対峙しながら後方を脅かすべく、司隷の地へ手を回したのは袁尚である。袁尚は異民族である匈奴の単于(族長)をたきつけ、単于は河東の更に北の平陽の地で乱を起こした。それに呼応するべく、袁尚によって任命された河東太守の郭援が、軍を率いて単于と結んだのである。また、それに袁家の縁者であるヘイ州刺使(ヘイ州の責任者)の高幹が合流し、事態は切迫した。
匈奴の単于を包囲していた鐘ヨウの軍の中では、乱を平定する先に合流した袁家の残党たちの勢いと兵力に、一旦包囲を解いて引上げるべしと怖れをなした。このまま包囲を続ければ、乱の平定どころか、連合軍にこちらが甚大なる被害を被るやもしれぬと。
だが、鐘ヨウは動かなかった。
「ここで我等が弱味を見せれば、我等はこの地を失おう」
漸く董卓の遺した嵐を収め、人が人らしく生きられる地となりかわろうとするこの地を、再び飢えた人が人を喰らわねばならぬ不毛の地となすのみだ。そう、鐘ヨウは堅固な決意を双眸に表し、諸将を見回した。
「袁尚が手は、この地一帯に及んでいると知れ。未だ、袁家は滅びておらぬ。この近隣の勢力に、機を見て曹操に、ひいては天子に叛旗を翻せと、唆しておる」
それが成らぬのは、と鐘ヨウは語気を勁くして、拳を握り緊めた。
「我等が力、見極めようと息を潜めるものが大多数であるからだ。袁家の息子に靡くが得策か、それとも我等が殿に…ひいては殿の擁する天子に従うが得策か、決めかねておるからだ」
弱味を見せれば、それらは一気に袁家に靡く。我等は故郷へ戻ることも叶わず討ち果たされるぞ。
その声は静かではあるが、勁い意志と沈毅さを備え、また及び腰の諸将を恫喝するようにも聞こえた。静まり返る配下の諸将に、司隷校尉たる鐘ヨウは続ける。
「郭援は、良くも悪くも、袁家の将である」
敗けることなど考えず、我等の劣勢を見ればひといきに揉み潰そうと攻め寄せるであろう。長く睨み合う持久戦を嫌い、性急にかたをつけてこその勝利と決めて掛かっている。
「そこに、油断はある―――」
我等が力で、この地を守りぬいてこそ、民は我等を真実、受け容れる。受け容れられねば、死あるのみ。
鐘ヨウは翻らぬ決意を声に、表情に顕し、しかしその眼差しにはたしかに、勝算の見えた者のみが持つ勁い自信があった。
「西へ、使者を出す。曹司空(曹操)が天子を擁すればこそ、我等に助力する者が、そこに存る―――」
張既(ちょうき)という男がいる。家は決して名家とは云えぬ。しかし早くよりその才を見出され、官吏となった。後に曹操がその才を耳に入れて召し出そうとしたが、先に郷里より推挙されて新豊(地名)の令となり、その治績は三輔(長安近辺)随一とも謳われている。
もとより書簡に巧みであることで身を立てた張既という男をそこに見出したのは、こちらも能書家で知られた鐘ヨウである。
「張徳容(張既の字)殿は、ひとにものを伝えるという事をよく理解(わか)っておる男だ」
伝えるべきことが書簡を見れば自ずと伝わる。恐らくはその発することばもまた、同様であろう。そう、鐘ヨウはその男を高く買っていた。そして鐘ヨウが伝えるべき大義をその男に託し、赴かせたのは、司隷の西にその軍を率いる、馬騰の許である。
かつて三輔において乱に立ち混じったこともある馬騰という男は、司隷の西端、扶風郡の出自である。しかし父親が天水郡蘭干県に県尉として赴いたまま、更に西の涼州の地に留まったため、故地から離れたその場所で頭角を顕すこととなった。落魄し、困窮する暮しの中で己の代で馬家を立て直した馬騰は、今やひとつの勢力となり、その率いる騎兵は精強である。しかし曹操に従うことを未だ諾わず、情勢を見るように己の地盤に動かずにあった。周辺の勢力との抗争に忙しかったという事もあるだろう。
その馬騰に、鐘ヨウは兵を乞うた。そして張既は馬騰の前にある。馬騰も見事な体躯とすぐれた容貌をうたわれた男ではあるが、その馬騰をして「爽やかな」という第1印象を抱かせた程度には、張既もまた挙措動作、そして容貌に洗練を見せる男である。
「許昌の曹司空のもとにある天子を蔑ろにする賊徒に、名族馬氏が助力致すことが、果たして大義と言えましょうや?」
張既は馬騰を、そう説いた。河東に乱の種を撒いた袁尚は、当然ながらその近隣に名を響かせた馬騰にも使者を送り、その乱に加担して曹操を脅かすべく促している。しかし、その誘いに乗る事こそ不義と、張既はそういう斬り込みかたをした。
「袁尚は許昌にある天子を、それが董卓の立てたものであるがゆえに認めぬと、新たな天子を擁するべく画策している。今ある天子を蔑ろにし、その口車に乗るのが、漢の功臣たる馬氏のなす事といえましょうか。世の謗りを被るばかりではありますまいか」
馬氏の祖先は、漢朝が一旦途絶したのち、その再興に尽力した第1の功臣である伏波将軍・馬援である。その馬援あればこその今の漢朝という自負が、馬騰にはある。そして同時に、落魄したりとはいえど、随一の名族として、天子に対する畏敬の念はつよい。そこを、張既は衝いてきた。
内密に袁尚の申し出を容れることを諾(うべな)い、情勢を伺っていた馬騰の表情に、あきらかな動揺があらわれたのを張既は見てとり、更に張既の傍らで、ひとしく鐘ヨウの命を受けて共に赴いてきた傳幹(ふかん)という男が言葉をひきついだ。
「馬氏の武勇は今や知らぬものはおりませぬ。それが袁尚に加担せぬまでも、ただ今の情勢を黙して見ていたのみとなれば、いずれ逆賊たる袁尚が討ち滅ぼされたのち、咎めを被るは必定。その後になっていかに申し開きをしようと、天子は御身を蔑ろにされた馬氏をお赦しになりはしますまい」
袁尚は今、曹司空の軍による征伐をうけ、それを防ぐことに窮々としております。それがこの河東に乱を起こしたところで、状況が変わる筈もありますまい。既に袁家は人心を失い、天の利は天子と共に許昌の曹司空にございますれば、この河東の窮状を見過ごし一時の勝利を得たとして、そこで築いた地盤と共に逆臣の汚名を着るのは必定。
続けられる言葉に、馬騰は苦い表情で黙り込み、そして溜息と共に吐き出した。
「臣(わたし)が怖れるのは、曹公の力にあらず」
ただこの馬氏が逆臣と呼ばれる、その一事。そう続けた声音に、張既はあかるい表情で応えた。
「馬氏の助力でこの危難を切り抜けること叶えば、誰がその功績あるお方を逆臣と呼びましょうや」
寧ろ精兵と名高い馬氏の騎兵にて、賊たる者を討ち果たせば、袁家滅びたるのちに、その威名は知らぬ者なき耀きを放ちましょう。
その言葉に、馬騰は頷いた。しかし未だ言下に助力を明らかにせず、張既を試すように問い掛ける。
「わが馬氏が精強の騎馬隊を持つは事実。しかし、この地には常から我等馬氏と諍いを繰り返した者もある」
それが袁家につき、袁家を討伐せんとする我等の邪魔をすれば何とする?
しかし張既は既に、馬騰がその問いを発する事を知っていた。張既をしてここに向かわせた鐘ヨウもそれを見越し、手を打っていた。故によどみない応えが返される。
「この三輔の地において強き者は、まず貴殿ら馬氏が軍。そしてそれに拮抗し得るのは、涼州の出である韓文約が軍」
韓文約という名に、ちらりと馬騰の眉が不快を顕した。文約というのは字で、名を遂という男がある。馬騰と韓遂は、この地において幾度とない抗争を繰り返していた。以前は、彼等は義兄弟の盟を交わすほどに親密な間柄であった。未だ地盤を持たぬ馬騰に助力し、現在の馬騰率いる馬氏が軍の力を確固たるものにさせたのは、韓遂の手回しがあっての事といえなくもない。
しかしいつしか、彼等は己の領土を侵し合う仇敵ともいえる間柄となっていた。何が原因であったのかは定かではない。頭角を顕した馬騰と、それに手をさしのべた韓遂との力が拮抗したが故の反目か、それとも深い理由があるか、余人には判らぬ。本人たちにも判らぬままの部分が多かったかもしれぬ。
ただ事実、彼等は剣戈を交え、そして韓遂との戦の最中、その猛攻に馬騰は妻子を失った。漠然とした反目は妻子の仇というあきらかな形となり、和解のきっかけは失われたかと見えた。
馬騰が軍を動かすに辺り、脅威となるのはその韓遂の軍である。しかし、張既は曇りのない声で述べ立てた。
「軍を動かした馬氏が背面を、韓文約が衝けば脅威となる。しかしその脅威は既にない」
何故なら、と張既はにこりと笑う。
「韓文約どのは、もし馬氏が我等に助力するならば、かつての不義理を詫び、その証として韓文約が軍を、馬氏の統率の許(もと)におかせて頂きたいと申しております」
「何―――」
意外な申し出に、馬騰は眼を見開いた。
「文約が、」
「そもそも、この地において最も強き力を持つは馬氏。それに拮抗するは韓文約の手勢。それが抗争を繰り返せばこそ、地は定まらぬまま、賊の跋扈(ばっこ)を赦した」
つまりは、貴殿らこそが三輔を騒がす因(もと)となったといってもよい。
暗に馬氏を咎めるように、幾分声に険しさを添えて張既は続け、馬騰はそれに言葉を失う。
「しかし、その馬・韓の2氏が手を携えれば、逆に怖るるものはなし。寧ろ三輔の安寧を齎らすものとして人はそれを讃えましょう。仇敵たる相手と今ひとたび手を携え、過去の恨みを忘れる馬氏が棟梁の度量を褒めそやし、帝もまた、その心映えをめでたきことと褒詞を賜りましょう」
「それは、真実か」
張既の言葉に、馬騰は未だ拭えぬ疑念を眉根に刻み、睨むように相手を見た。それに臆する事なく、張既は己の胸を叩いて応える。
「我が言に偽りあらば、この首いつでも馬氏が棟梁に捧げる覚悟」
ともかく今は、私怨にて事を遅らせる時にあらず、と張既は声をはりあげた。よく通る声は真っ直ぐに馬騰に向かい、それを動かした。
「伏波将軍が裔(すえ)、馬氏が漢朝の御為に働くときは、今をおいて他になし」
曹操の為ともいわず、袁氏の討伐のためともいわず、漢朝の御為と彼は云い切り、それゆえに馬騰は立ち上がり、張既の手を取った。
「慎んで―――」
天子の御為に、我等が軍にて共に賊を打ち果たさん。そう、馬騰は応え、事は成った。
鐘ヨウにより、馬騰と韓遂は一旦の和解の盟をとりつけ、その証として互いが援軍を発することとなる。平陽に陣取る単于と郭援・高幹を包囲する鐘ヨウの軍に対し、馬騰は自ら出陣することはなかったが、代わりに長男の馬超に1万の精兵を率いさせた。共に兵を出した韓遂は、おのれが先に鐘ヨウに申し出た通りに馬超の指揮下に兵を置いている。
白銀の鎧に白馬、あざやかな色彩の戦袍を纏う馬超は26歳の若武者である。しかしその武勇は既にして近隣に聞こえ始めていた。馬氏が孟子(長男)の武勇はまさに神威と讃えられ、その戦場にあっても鮮麗な色彩は敵味方問わず眼を惹いた。
その青年が、鐘ヨウの前にある。型どおりの礼を執り、しかし卑(へりくだ)るという腰の低さは微塵も感じられぬ風情を、それが自然と云わんばかりの態度で包んだ青年。それを傲岸と見るむきも、鐘ヨウの周囲にはあった。韓遂との和睦を成さしめた相手に対する恩義、そして漢朝に対し逆賊とならんところに手をさしのべた相手に対しての恩義を超えたところに馬超は存り、寧ろさしのべられた手にとびついたという姿勢を見せることを厭うような風情があった。
名族といえど今は落魄(おちぶ)れ、ともすれば涼州の田舎者よと己を侮る眼を跳ねのけるように上げられた面に、相手に諂(おもね)る卑屈さは微塵もない。ただ己の力を知り、それを求めるものへ、こちらから手を伸べているのだという姿勢が崩れることはない。
事実、馬超の中にはそういう思いがあった。
「父上が何を考えておられようと、おれは人質に差し出された覚えはない」
そう、馬超は自分に与えられた幕舎の中で、己の従兄弟である馬岱に、そう言下にしていた。韓遂と和睦し、天子の命をうけ曹操の配下と倶(とも)に賊と戦うにあたり、その長男を送った馬騰の動きは、曹操の傘下に入る証として実子を人質に送ったと見られなくもない。事実、督軍従事という位を与えられた馬超は、父である馬騰に「天子より官位を賜り命をうければ、すみやかにそれを受容れて従え」と言い含められている。それが馬氏の誉れともなろうと。だが馬超はそれを無条件に諾うことはできなかった。官位を与えられ、万が一にも父から離され、そのまま長安に留め置かれれば、それはすなわち己の人質たる立場を認めたこととなる、とも思っていた。
「父上は、馬氏は―――」
天子を助くる為にこそ軍を動かしたのであれ、曹操の傘下にはいった訳ではない。
ひくく続けられた言葉が余人に漏れぬよう、それを憚るように、馬岱は言葉を遮り、話題を逸らした。
「そういえば先程、韓文約どのの姿は見えませんでしたな」
その言葉に、僅かに馬超の睫が動き、ゆっくりと馬岱にその貌が向けられ、そして笑みを漏らした。
「俺を、避けたのだろう」
鐘元常(鐘ヨウの字)も事情は識っている筈だ。顔を合わせぬでもよいように計らったのであろうよ。そう続ける馬超の声に、幾許かの自嘲の色が滲む。
韓遂が馬騰の妻子を殺したが故に、抗争が終結を見なかったことは周知のことである。つまり、馬超にとって韓遂は、母と妹の仇である。和睦の盟を結び、韓遂が己の軍を馬超の旗下に置くことを認めたとはいえ、顔を合わせればなんらかの軋轢が生じる。戦時にあって、それは避けるべき事と、上に立つ者ならば誰もが考えるであろう。
「ありがたき配慮と、礼の一つもいうべきか―――」
「若、」
馬岱は馬超の声を遮った。彼がこういう声音で皮肉を漏らすことは珍しい。寧ろ鐘ヨウに己の心を慮(おもんぱか)られたことを愧じているような、そんな声音だった。
「若、いちど韓文約どのと、会って話をなさいませ」
馬岱はそう告げ、馬超は彼がそう云うであろうことは判っていたかの如くに、素直に頷いた。
「そのつもりだ」
ただし、この戦が終わってからだ。そう、馬超は続ける。
「誰かの作為があろうと、父上と文約は和解した。この先、幾度も友軍として力を併せる事もあろう」
赦せぬまでも、蟠りは解きたい。このまま一生顔をあわせず、ただ奴は母と妹の仇だからと影から恨んでばかりいるのは、女々しい事だ。
馬超の言葉に、馬岱はただ頷き、立ち上がった。そのまま幕舎を出てゆこうと踵を返す馬岱に、馬超はふと、声をかける。
呼び止められた馬岱が振向くと、馬超は未だ何かを思うような風情で、膝の上に手を組、頬杖をついて虚空に視線を逍遥わせていた。
「お前は、あの鐘元常(鐘ヨウ)という男、どう見た?」
一瞬躊躇ったのちに、馬岱は答える。
「見掛けは文弱の徒とみえて、その実、剛胆―――」
そして窮地において、我等が馬氏を取り込むべく打った手の果断さを鑑み、また若にたいする扱いを見れば、信のおける男かと。
その馬岱の言葉に、馬超は頷いた。
「俺も、そう思う。戦上手とは云えぬが、土地を治めるに当っては有能だ。人心を掴むこともまた巧みで、節度を通す男だ」
だが、と馬超は馬岱に視線を向けぬままで、呟いた。
油断はできぬ、と。
「郭援という、賊と呼ばれた袁家の臣下、あれは、」
馬超は表情を変えぬまま、固い声で続ける。
「鐘元常の、甥だ」
それを真っ向から国賊と打ち果たそうとする、あれはそういう男だ。あれが司隷に陣取る限り、曹操の後方は揺らがぬだろう。
馬超の言葉に息を呑み、馬岱はその次に、己に振向いた馬超の顔に微苦笑が浮んだのを見た。
「その男の前で、俺が女々しい振る舞いをする訳にもゆくまい?」
文約とのことは、今は忘れておく。そう、馬超は云った。
Next
INDEX
|