五 虚空
| 痛み分け。またしても勝敗は決することなく、ただ韓遂は己の領土を僅かに削らせ、そのぶん馬騰が進み出た。そこで、互いが兵を退いた。
戦は続く。終わることはない。終わらぬ限り、問いも已(や)まぬ。 「何故」の問いは已(や)まぬ。 牀(ベッド)に横たわる馬超に、末の弟である馬鉄は縋り、泣くのを堪え、ただ必死で訴えていた。
「何故」の問いはある。だがそれを、父に向けることはできぬ。 それを思い、ただ父に眼を向けた馬超は、しかし向けるべき言葉がない。 「超よ」
鉄の歳で、お前はもう一軍を率いた事があろう。見事に為果せたであろう。
「お前が令明に一目おいている事は、兵も知る。なれば、お前の代わりに令明に率いられ、それを当然と感じる」
「それはお前が我が長子であるからではない。儂が、それを望むが故だ」
そして、と馬騰は続ける。
ちちうえ、と馬超は呼び掛けようとして、喉は未だ声を出さぬ。喉元を搾られる様な痛みだけがある。 「お前に、答えを与える事はできぬ。ただ己が裡の『何故』の声に、耳を傾けよ。それを謂う事しか、できぬ」
儂を超えよ。そう、馬騰は謂う。
何故母が、妹が死なねばならなかった。何故、あの男がそれをした。
その正義が赦されぬ理由が、先に父と韓遂の間の不和としてあったというのか。
その理不尽を叩きつける様に、馬岱に縋り、声なき問いが堰を切って溢れ、頑是無い子供の如くに、その袖を掴み、揺さぶって慟哭する。
渾沌として、訴えるべき言葉はただ嗚咽となり、それを支える馬岱が、傷に障らぬよう、そっと背に手を回し、宥める様に叩いた。
「若は剋てる」
岱、とその名を呼ぶ声が出ない。何かを謂おうと、動かす唇(くち)より言葉は出ない。
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| 閻艶。
行という名に変えて、韓遂はその名を与えた。彦明(げんめい)という字(あざな)と共に、未だ字を持たぬ男に、それを与えた。一軍の将として、己の傍らにあれと。郷里の父母を側に置き、養えるだけの禄もくれてやろうと。 「いずれ、時がくれば、然るべきところに推挙もしてやろう」 馬超との一騎討ちの凄まじさ。その武勇を賞して、韓遂はその男を己の片腕と改めて公に認めてみせた。 それゆえに、蟠る慮いを切り捨てよという。己の裡に未だ存る、後悔を断てと。 「寿成の妻子を害した己を、忘れよ。ここにあるのは、ただその武勇誉れ高い長子と互角にわたりあった猛将。それを誇れ」 誇る事に未だ躊躇いはある。閻行、否、閻艶はそう思う。己は未だ、あの馬超にとどめをさしてはおらぬ。さす事ができなかった。 だがそれを言下にはせぬ。ただ恭しく改められた名を享け、しかしこの主は、なにを以て「時が来れば」というのかという怪訝の色を見せる。 その怪訝の色に、韓遂は答えた。 「我等は、逆賊にあらず。馬氏の軍に賊と呼ばれる謂われもない」 だが戦は続くであろう。暫し、近隣を騒がせぬことともなろう。 しかし我等が精強なること、誰もが知る。それゆえに討伐が難い事も知る。 韓遂は笑みすら見せず、ただ淡々と言葉を続ける。 「恐れ多くも帝を擁する者は、今や烏合の衆。いずれ力存るものが帝を奪い、名告りを挙げる」 馬騰が手をこまねいているからだ、とは韓遂は云わなかった。僅かに眼を細め、そこに苛立ちを滲ませたのみだ。 「我等に伸ばされる手は、ある。それを捕える。いずれその時には、寿成と再び馬首を並べる事もあろう」 つてはある。我等が近隣を騒がせるを、隙とも好機とも見る男は、既にこの地をも視界にいれている。 それが誰であるか、韓遂は明らかにせず、閻艶もまたそれを問うことはない。 「その手が伸びた時こそが―――」 我等が力、真に天下に問う時。 閻艶は顔を上げ、頼むぞ、という主の声に頷いた。 同時に、この主は、己が馬超の息の根を止めぬ事を、知っていたのではないかという疑念が掠める。だがそれを、どうやら喜んでいるらしい気配も伺える。 それでこそ、望んだ如くと。だがそれも含め、己への信頼であると閻艶はそれを容れ、己を認めるものに從ってこその将と、余分を考える事を已(や)めた。 それをして、得るものがあるとも思えぬ。寧ろあってはならぬこと。それを己の分際と見極め、ただ受け容れた。 |
| しかし己に、その稚(わか)い将の母を討ったという自責の念をもって向かうことを已(や)める事はなすまいと思う。
戦の帰趨がどうあれ、それは己がした過ち。それには代わりがない。ただ、繰り返すまいと、そう慮う。そして己が正しきと信じるものを曲げる事は成すまいと。 戦に人を戳(ころ)す、それは必然。だがそれに道理なければ、暴虐。 己が欲(のぞ)むのは、道理なき勝ちに非ず。 己を視(み)た馬超の眼に、閻艶はそれを勁く思った。そしてその怨みをも受け容れ、尚剋たねばならぬと、それを感じた。 |
| 『若君の声が出ぬのは、傷の故にあらず』
医師はひそかに、馬騰にそれを告げていた。頚を打たれ、それが暫し響けども、喉の内まで傷をつけぬのに、声が出ぬ道理はない。 ただそれは、心の深くに溜めた思いが、喉を塞いでいるが故。しかしそれを知らせれば、逆にますます声は出ぬ。 『それゆえ、傷の故となされよ』 さすれば、傷が癒えれば声は出ると信じる。常の闊達さを取り戻されれば、自ずと言葉は戻りましょう。 その言葉通り、馬騰は弟達にはもとより、馬岱にすらそれを謂わなかった。ただ、己が息子が心身に負った衝撃の勁さに、その匿(かく)された精神(こころ)の脆さを垣間見たのみか。 いや、脆いのではない。ただ、鋭い。 それゆえに、時に危うい―――刃の如き鋭さは、己が進む先にあらざる者をも容易く傷付け、己をも傷付ける。 その鞘ともなるべきか。父として、馬騰はそれを慮う。今しばし、己の中に、己の鞘を見出す時まで。 削らずともよい。ただ収める術を見出すまで。己を傷付ける憂いなくなる、その時まででよい。その時には既に、息子は父たる身を超えよう。 その名の如く、超えて孤(ひと)り立つであろう。 |
| 「岱、」
重い傷は癒え、孤(ひと)り立つ馬超の声がある。風にも消えぬ勁い声に、馬岱は眩しげに眼を向けた。 孤(ひと)り天を仰ぐ馬超は、それに届かんとする如くに手を伸べ、そして問う。 「何故」という問いではない。ただ、俺は剋てるかと。 低く乾いて、勁い声。それに馬岱は応える。 「若は、敗けぬ」 剋たれよ、と続ける声に、手が降ろされ、ただ顔ばかりは虚空(そら)の碧さを欲(もと)めるように、天に向けられていた。 「何故」と問う聲(こえ)は、裡にのみ。ただ冥(くら)く深い裡に留められ、けれど深いところではなく、虚空(そら)にそれを求める様に、馬超は凝(じ)っと、碧を仰ぐ。
孤(ひと)り。しかしそれを視(み)る姿も、孤(ひと)り。 羌の族では、人は死せば、その魂が鳥と共に空に還るという。
地に存る己にはそれは判らぬ。行方を追う事もならぬ。等しく地にある者を追い、ただ己の裡なる聲に答えを探す。しかし不思議と、傷と共に殺意が薄れ、それは情のうすさかと馬超は思う。
己が守るべき地は広がり、与えられた兵を躊躇わず率いる、その先に敵はある。
Sun Nov 03 2:15:24 2002 |
Index
実は「建安の初年以前」としか特定できません、この時期。
しかも「韓遂の軍が馬騰の妻子を殺害して去った」のは事実ですが、それに閻行が絡んでいるとも、閻行の名がいつ閻艶に変わったのかも、ひとことも書いてありません。つか、毎度お馴染み妄(うそ)です(きぱ)。信用してはなりません。これはあくまで「物語」です。しかも「一騎打ちー!」と意気込んだ挙げ句に迷路に突入した物語です。
閻艶については、韓遂から離脱して曹操の許に奔ったのち、もういちど名を「閻行」に戻したというマイ設定(痛)もありということで。なんというか。
ちなみに「迅き暉の生まれし処」で祖郎に追回されて腰抜かした孫策と、今回の馬超は同い年(もしくは同い年「頃」)ということで。なんとなく書きながら比較もしておりました。これでいいのだろうかと、疑念を抱きながら。馬超という人物の描写がとにかく難しく。後の潼関前後の人間関係をも鑑みると、固まり切っていないというか。筆の未熟さもあいまって、なんともお恥かしい次第。
「孤(ひと)り」であることを気付けなかったのが孫策。
気付いて、それを父に諭されて呑み込んだのが馬超。
なんとなく気付きながら、父には一切の言葉を貰えず突っ放されたのが曹丕と。
書きながら、そんな事をつらつらと思っておりました。いえ、あくまで私見ですが。
ともかくも、またしても無駄に長くなってしまいましたが、お付き合い頂いた皆様には、本当に有難うございました。
そして未だ書いてませんが、また幾度か「うわー裏分岐OK?」と思った箇所があった事も、このさい後悔懺悔だ!笑って聞き流せ!煽られたら書く。そういうことで。