風が、聞こえる。
江を見霽かす周瑜は船の舳先(へさき)でそれを思った。実のところ、今日の風は凪いでいるといってよい。決してつよい風ではなく、けれど江の水面は漣立ち、ごく僅かにだが、解れた髪のひとすじが動いているのが頬の当りに感じられる。
それを聴きたいと、否、感じ取りたいと彼は思った。
『小佚、…よいか、琴というのは満ちる気を弦に乗せ顕す器だ』
今は都の本家に身を預ける母親の声が耳朶奥に響いた様な気がした。
幼い頃、自分に楽を、舞を教えた母は、自分の幼名を呼び、弦を押えるちいさな指にそっと彼女の繊手を添え、そう教えた。
『弦を押えるそれだけの音すら聞き分ける耳を持つ者、それのみがこの琴を真実、操れよう』
音の裏に響くものを耳のみならず全てで感じよ。その耳を持て。そう、彼女は幼い周瑜の髪を撫でて呟く。
『この世は音に満ちている。音なき静けさの中にも、それは必ずある。この世が動いている証、そしてどこへ動こうとしているのか、その流れが必ず聞こえる』
鳴らぬ風の中で彼はそれを聴きたいと、耳のみならず五感の全てを研ぎ澄まし、目を細めた。ひろがる江の水面が描く波紋のひとつひとつ、その重なりすら音なき様で音を成し、複雑な文様を描く布目の様に何かを導こうとしている、それを感じ取ろうとしていた。そしてその上に、記憶の中にある女の声を導き出す。
『小佚、そなたまた、何か悪戯を企んでおるな?』
音が騒がしい。そう、彼女は笑った。騒がしさとは無縁の謐かな曲を、たどたどしく指に辿っていた筈の周瑜は驚いて手を止め、更に母親は声を立てて我が子の肩を抱く。
『判るとも。琴は奏者の思いをも映す。それゆえに思い邪なればすぐそれが見える。だからこそ、その邪を音に映さぬ様、琴に向かう者は己を正して行かねばならぬ』
そして琴を聴くものの気を読み、琴を置く場の気を読み、全てを己の指先に絡め上げ音を織る。それが出来る者の琴にこそ人は気を惹かれる。
『だが、そなたの琴はいつも、素直に己を顕す。それもまた良かろう』
しかし忘れるな小佚、琴も世も同じだ。琴を鳴らす様に己の一挙一動足までもがこの世という器を鳴らし、それが幾重にも重なり、誰かの鳴らす音と和して曲を奏でる。その曲が人を酔わせるか、それとも騒がしさに耳を蓋わせるか、それはそなた次第のことだ。
誰かの奏でる音に、そなたの楽藻が合うか否か、それは己の音を鳴らすそなた次第であろう―――
騒がしさに気付かず己の音をのみ追えば、耐えかねた誰かがそなたの弦を断ってしまうやもしれぬぞ。
「周郎、」
背後からかけられた声に、周瑜は手繰り寄せた記憶から、己の思考を一旦切り離した。振向いた先に、壮年の男が立っている。
「祖郎どの、」
祖郎と呼ばれた男は、一見して地味な男である。削ぎ落とされた様な頬に蓄えられた髭は濃く、また眼光も鋭い。闇に獲物を伺う山犬の様な、と彼を評したのは、程徳謀(程普)であっただろうか。戦場で見えた祖郎の戦振りと共に、彼はそう余人に伝えた。なるほど程公(程普)らしい云い様だと周瑜は改めて自分の背後に立つ男を見て片頬に苦笑を浮かべる。
祖郎は、かつては敵であった、いわゆる降将だ。周瑜が主と仰いだ討逆将軍、孫策が未だその軍が寡少なる頃に、その出鼻を挫いた男だった。元は賊徒である。その鎮撫に寡少の兵を以て向かわされた孫策の軍は、祖郎の一団によって全滅に近い被害を受け、孫策自身が退却の途上包囲され、祖郎によってその乗馬の鞍を斬られたという。
まさに狼(やまいぬ)が己の群れを自在に展開し、相手の急所を頭目である祖郎が牙にかけようとしたと見えた。
そう、程普は後に語り、また孫策自身が、苦笑を込めて語ったものである。
『あれだけ派手にやられると、茫然としちまって、怒る気も失せたなァ』
怖かった、と孫策が素直に認めるのは珍しい。戦であれ他愛ない争い事であれ、敗ける事が大嫌いな男―主君であり幼馴染みでもあるその男が、躊躇いも無く「怖かった」と評した、それがこの祖郎という男である。
そして後日孫策は、今度は充分な手勢を率いて祖郎と再戦し、勝利した。だが孫策はその首を打つ事はせず、自軍の将として門下賊曹の位に任じた。
以来、彼は一軍の将というよりは寧ろ、元の己の一党を率いてその領内の治安を守るという位置にある。また出自の故に彼等一党の持つ情報網は表立たぬ場所にまで張り巡らされていた。孫策から孫権に代が移り、その地盤を保持する事が難いと見た彼等の叔父である孫輔が、都に帝を擁する曹操に通じた事がある。それを周瑜を通じ孫権に伝えたのもまた祖郎であった。
容貌の昏さと共に影にあり孫家を守る、それが彼の己に以て任じた役目であるといっていい。
「祖郎殿…」
周瑜は再び、江へ目を向けた。眼下には彼の水軍が調練を繰り返している様が広がっている。騒がぬ風のもと、合図の鼓が響き、それに合わせて船団がうごく。巨大な艦ではなく、機動力を重視した走舸(そうか)が主力だった。
「右の走舸の一隊の動きが格段に良くなった。そうは思わないか?」
「公績殿の隊ですな」
抑揚のない声で祖郎は応える。公績とは字(あざな)で、名は統という。十五の歳に父親である凌操を失い、以来父親の兵を率いていた。未だ若いが故に時として激しやすいが、それは性根の素直さが源だと周瑜は思っている。
その素直さ、すなわち純な性根が失われないが故に、彼は未だに父の仇を忘れられずにいた。凌統の父凌操を討ったのは、今は自軍にある甘寧という将である。その甘寧との衝突を避ける為、周瑜は敢えて派遣先であるこの地での水軍の調練に凌統を伴い、手元に置いていた。甘寧は、今主君孫権の元に存る。距離ばかりは遠ざけ、「忘れよとは云わぬ。ただ、耐えよ」と告げた己の言葉の残酷さを周瑜は自覚していた。だが甘寧は以前はともかくとして、今は無くてはならぬ将といっていい。敵軍から離反した彼を容れよと進言したのは、呂蒙と、そして誰あろう周瑜本人だった。
甘寧と凌統が斬り合えば、確実に敗けるのは凌統であろう。判っていればこそ、周瑜はこの二人を遠ざけ、凌統を側に置いたのだ。甘寧を自軍に容れた者のひとりとして、歯切れは悪いがそういうやりかたでしか責任を取ってはやれぬ。そう思っていた。
「某(それがし)は…」
ふと、祖郎が口を開く。問われぬ事を自ら言葉にする事の少ない祖郎なだけに、周瑜は内心で聊か驚きを覚え、そしてその後に続いた言葉に、思わず息を呑んだ。
「周郎が見ておられたのは、水軍の調練ではなく、太史建昌かと思われたが」
太史建昌。すなわち、建昌都尉という位にあった太史慈という男の事である。東莱の出身で、字(あざな)は子義。
「祖郎殿、如何なされた」
自分が取り繕う様な笑みを浮かべた事を周瑜は自覚していた。
「子義は先年、病にたおれた」
ここにはおらぬ。そう続ける周瑜に、祖郎は応えず、ただ周瑜が先まで見霽かした水面の向こうへと視線を送る。
「この向こうが、太史建昌の治めておられた各郡ですな」
周瑜は苦笑する他はなかった。
太史慈。祖郎もまた孫策をあと一歩のところまで追い詰めた男ではあるが、太史慈はその武勇を以て孫策と渡り合った男だ。元は劉ヨウという男の配下で、その劉ヨウを孫策が攻めた折の事だ。
勢いに乗る孫策が優勢であったのは明らかだった。城に篭る劉ヨウに、突破口を開くべく太史慈は己を将として一軍を預けよと希ったのだが聞き入れられず、ただ斥侯の役目のみを仰せつかった。その鬱積を抱えたままの彼の前に、なんと孫策が少数の手勢を連れたのみで、自ら偵察に出ていたところに出くわしたのだ。
少数の偵察隊とはいえ、孫策の周囲には歴戦の主だった将が居並んでいた。だがそれをものともせず太史慈は孫策に一騎打ちを挑み、あわやというところで引き分けたという経緯がある。
後に劉ヨウが逃亡した後も居城に篭り抗戦した太史慈と闘い、捉えた孫策は、己の手でその縄目を解き、将として遇した。のみならず、更に劉ヨウが逃亡先にて死亡した後、その四散した配下兵を取りまとめ、60日以内に孫策の元に戻ろうという申し出すら受け容れた。
帰順したばかりの敵将である。誰もがその申し出を危ぶんだ。恐らくは孫策の許を離れた太史慈が戻らぬだろう、それどころか己の出自である北方近くへ身を寄せ、新たに一団を成し再び脅威となるやもしれぬという声すらあった。
元来、太史慈とはその武勇と義心でも名の識られた男ではあるが、同時にその機知をも識られている。武勇一辺倒という性質の将ではなく、その身を処するに当って機転の利く男だという評もあった。それ故に劉ヨウは、「太史慈に2心あり」との己の子飼いの言によって彼を重用することを控えたのである。
だが孫策は太史慈を行かせた。
『今、逃げて一本立ちするのと、俺の許に留まるのどちらが得か、その程度の目端も利かん奴ならそこまでだ。そんな阿呆を俺が欲しがるか!』
反対する諸将を一喝した孫策の声を、周瑜は今も覚えている。
『あァ太史子義は確かに頭が回る。ただの武骨者じゃねえさ。だがな、ただ小器用に立回るだけが能なら、なんで今の今まで劉ヨウなんざにくっついて律儀に俺と闘ってたよ!奴がこの男を重用したか?違うだろ。斥侯なんざにつけて飼い殺してたろうよ!でもこいつは最後の最後まで裏切ゃしなかった。その男が俺を信じて、戻るまでにゃ六十日って期限までつけてンだ。なんでそれを俺が疑うよ!俺は信じるぜ。こいつは巧くやる。そして俺のとこに戻って来る。そうだろ、子義!』
それにな、と孫策は声もない太史慈を見降ろし、にやりと嗤う。
『戦じゃァ勝ったが、まだ俺とお前の一騎打ちの決着は着いてねェ』
戻って来い。俺が待ってるんだ、必ず戻れ。
そう孫策は続け、太史慈の手を取ってきつく握り緊めた。
『飼い殺される辛さは、俺も良く判る。俺はンな真似はしねえ。お前が60日で残党を纏めて戻ってきたら、相応に遇してやる。それが俺の流儀だ』
お前が臣従を望むならそれもよし、だが俺はお前を、お前の纏めた一党を率いるアタマとして遇する。それだけの事だ。
流石にその言葉には、太史慈のみならず他の将も絶句した。私的な場なら兎も角皆が居並ぶ中でのその言葉は重過ぎる。思わず僭越と知りながら周瑜が言葉を挿もうとしたが、その機先を制する様に、孫策は悪童の笑みを周瑜に向け、そして云った。
『人前ではともかく裏じゃ虎より怖ェ美周郎様がよ、お前との一騎打ちの後そりゃ凄絶な面で怒り狂ってなァ』
唐突に変えられた話題に、周瑜は言葉を呑み込み、太史慈もまた周瑜と孫策を見比べる。
『怪我して戻った、この俺の男前な横っ面容赦なくブン殴りやがって、云うんだよ。次に敗けたら今度は殴るだけじゃなく、そのまま叩き出して家に入れてやんねェぞってな。という訳で、俺としては早いトコ子義と決着をつけたい訳だ』
早く戻らねえと、どうやら俺はあの周郎の頭ン中じゃ「一軍の将ともあろう者が無謀にも単騎で飛出して、挙げ句不状にも敗けて戻ってきた」って事になったまんまらしいからよ。
『俺を助けると思って、な?』
そういう物言いをした覚えはないが、かけられた心配の分だけ怒り狂い、罵詈雑言の挙げ句胸倉掴んで主君である相手に一発お見舞した覚えのある周瑜は、苦い顔で沈黙せざるを得ない。だがその物言いに、当の太史慈ばかりか幕舎の将すべてが堪り兼ねて吹出し、その場は先の緊張感を吹き飛ばす様な笑いに包まれた。
『判り申した。この太史慈、必ずや60日後に、孫伯符殿のもとへ帰参しよう』
太史慈はそう宣言し、そして劉ヨウの残党のみならず、以前彼が篭城した折に引き入れた山越という異民族をも加えた一団と共に、改めて孫策に帰順を申し入れたのである。孫策は言葉通りかれを重用し、建昌という土地の近辺から六県を割いてその統治を任せたのである。
その太史慈も一昨年、病で41年の生涯を閉じた。それより更に六年前に、孫策は刺客に襲われ、26歳という若さで死亡している。
今、周瑜の主君は孫策ではなく、その弟の孫権だ。その孫権の許に、都から曹操が南下を始め、荊州を取ったとの報が流れていた。そしてこの孫家の一門に兵を向け、疾く帰順せよと無言の圧力と恫喝を与えつつある。荊州を治めていた劉表は病に倒れ、その嗣子は曹操に帰順した。それに不満を持つ劉表の遺児の一団と、そこに身を寄せていながら曹操に追われる身である劉備という男が、彼を慕う民の大集団と共にこの江東へ逃げ込もうとしている。
その騒きが、凪いだ風の中から嵐の静けさを以て音を響かせている。それを聞きながら彼はただ水軍の調練に明け暮れ、動こうとはしていなかった。
「周郎、」
祖郎はまたも自身から口を開く。今日の彼はいつになく饒舌だと周瑜は感じ、黙って言葉を促した。
「都の御本家から、周郎の許に幾度か書簡が送られましたな」
その科白に周瑜は唇許を歪めた。それは事実だ。周瑜の家は由来、漢朝に仕える名家である。司空、太尉といった三公と呼ばれる朝廷の重役をも輩出している。分家の更に次男である自分はこうして、孫家の許にある。だが本家は変わらず都にある。当然ながら、現在朝廷を握っているのは丞相となった曹操であるから、その許にあるといっていい。
勝てぬ、お前は戻れ。何れ孫家の治める江南も曹丞相のものとなろう。
本家からは2、3度ばかりそれに類する内容の書簡が送られていた。だがその内容を云々する代わりに、周瑜は祖郎を振向かぬまま、問い掛ける。
「祖郎どのは、何故、今こうして孫家に仕えておられる」
あと一歩で孫伯符(孫策)を仕留められたという、その折の気持ちは如何だったであろう。
そう尋ねる周瑜に、穏やかな、乾いた声が応えた。
「天運を逃したと、そればかりを」
天運、と鸚鵡返しに繰り返した周瑜に、祖郎は続けた。
「孫討逆殿(孫策のこと)の乗馬に斬りつけ、確かにその背を斬った、と思えた。けれど実際に某(それがし)の斬ったのは、鞍ばかりでござった。戦には勝ったが…」
あの時、馬と共に某の天運は去ったと思うたのみ。
「天運は、あの二十歳にも満たぬ黄口児(こぞう)の上にあると、漠然とその時に思うた。某はあの折、後がなかった。そこで敗ければ縋るものは無かった。後に孫伯符を再び討てと、似非(えせ)皇帝の袁術より印綬が送られてはきたが…」
重いばかりであったよ、と祖郎は唇許を歪める。重いばかりで実(じつ)は無い。その時、討逆殿は某より更なる兵を纏め、その将師となり堂々と馬上にあった。引き換え某は、己の限界を悟っていた。今以上の大集団を纏めて率いるだけの能は某には無かった。郷里で蜂起したのも、喰うに困った苦し紛れで、志あっての事ではない。ただ踏み躪られる前に立たねばならぬと、そればかりだった。そう続ける祖郎の声に、自嘲めいたものが微かに響く。
「ならば、逃した天運に乗るも一興。己で変えられぬ流れなれば、それに乗り、流されるのみ。そして今の某がここに存る。それだけにござる」
そしてその流れは思いの他速かったが、思いの他居心地のよいものでござった。付け加えられた祖郎の言葉に、周瑜は頷き、唇許を歪めた。
「俺は、その天運とやらに…」
言い掛け、周瑜は口を噤み、ただ江の向こうへと視線を向ける。
云うべき相手は祖郎ではない。もはや誰にも云う事ができぬ述懐が苦く胸を疼かせる。祖郎は促さず、また沈黙のみがそこにあった。
その日、常の如く、笑みすら含んだ穏やかな声で太史慈は云った。
「俺が膝を折ったのは、小覇王と呼ばれた御方に対してのみ。孫伯符という御仁にのみだ。他に仕えたつもりは毛頭ござらぬ」
恐らくその会話は、孫策が逝去して半年程も経った頃になされたものであっただろうか。
「それを私に云うのか」
振り向いた周瑜の声が、辺りを憚るように低められている。
「それを、既に孫家の臣である私に云うのか、子義殿」
太史慈は探るような周瑜の視線を受け止め、応えた。
「貴殿なら、判る筈です」
哭礼すら成せぬ貴殿のみが、恐らく今それを知る者だ。そう太史慈は続け、天を仰ぐ。晴れた虚空が広がり、あとは何もない。鳥の声すら無い、開けた静けさの中に空だけがあり、その明るい空虚が、今の自分の中にあるものだと周瑜は太史慈に倣って天を仰ぎながら思い、そしてその虚しさを直視する事自体に疲れた様に、視線を落とした。
哭く事すら、出来なかった。使者を送る哭礼においても、彼に涙はなかった。ただ「何故」というやり場のない想いと怒りだけが胸中を満たし、吐気を覚える程に苦しく、逆流する血液が脈打つごとに頭痛を齎らす。躰の中に熱い嵐があるようで、けれど可恐しく謐かだ。その矛盾の中に彼は佇み、全てが終わり嵐が過ぎると、唐突に虚脱していた。
成すべきことは判っている。孫策の弟であった孫権を立て、揺らぐ地盤の足固めをする事だ。だからこそ、孫策の時に増して威儀を正し孫権に対して臣下の礼を取り、また離れようとする者たちを圧し留めた。だがそれをする自分を、別の場所から眺め降ろす様な不思議な浮遊感だけがある。何者かが動かす躰を、虚脱したまま感心して眺めている様な、そんな想いがある。
無感覚の淵に、彼は存った。怒りが過ぎたあとに心を動かすものは何ひとつ無く、ただ茫然と時間ばかりが過ぎてゆく。
その彼の心を唐突に弾く様にして存ったのが、任地に戻ろうとする太史慈の言葉だった。
可恐しい言葉だ。そう、想う。自分は孫策の臣である。だが今、彼は孫策なき後主人はなしと云いはしなかったか。それはとりもなおさず、自分は孫権に仕えてはおらぬと云ったも同様ではないか?
「その言葉が真実なら」
俺は、そなたを斬るべきだ、子義。そう周瑜は乾いた声で続けた。
「周郎―――、」
それも、良かろう。そう太史慈は続ける。
「だが俺を斬るのは己の身を斬る事だ。加えて今、南方を押えられるのは俺だけだ」
ならば貴殿は俺を斬れぬ。その言葉は真実で、周瑜は覚えず声を立てて嗤った。
虚ろな嗤いは乾き、空虚な彼の裡に響いて、消える。
「孫伯符は、俺を、己の下にあるものではなく、俺自身が纏め率いた一団の頭領として遇すると云われた。その言葉は今も俺の内に存る」
存り続ける。そう、太史慈は続けた。
「だから俺はこの孫家の同盟者であり、孫伯符亡きあともそれは変わらぬ。だから俺は、俺の受けた恩顧には報いる。裏切りはせん。孫伯符亡くとも、あの言葉ある限り」
それは貴殿も同じでござろう。そう問う太史慈に周瑜は無言だった。
「臣従の礼を取りながらも、孫伯符の義兄弟であり親友であった周公瑾(周瑜)。貴殿もまた俺と同じ立場だ」
その気になれば、盧江の周家は孫家に取って代われる。周囲の皆は貴殿が伯符の後を追うのではと懸念した様だが、俺にはそう思える筈もない。
「寧ろ、この機に取って代わると動きを見せる方が貴殿らしいと思えた」
違うか、公瑾殿。
その言葉に周瑜は首を横に振り、詮無い事だ、と呟く。
「俺がそれをして、どうなる。俺はそこで伯符に勝てぬ己を知るだけだ」
俺は、と周瑜は呟く。
「俺は未だ伯符に敗けてはおらぬ。ここで伯符がおらぬからと立場を変じれば、それは己の器が伯符に勝らぬという事を認めた事に他ならない」
そこで言葉をきった周瑜は、虚空を見上げ、唇を咬んだ。
伯符はおらぬ。言葉にすればそれだけの事だ。だがそれだけの単純な事が、何故こうまで重い。これほどに苦しい。
「俺は―――」
周瑜は喉に詰まる固いものを吐き出すように、呷いた。
「伯符にだけは、敗けたくない」
俺を側に置くものが天下への階を駆け登る。それを思い知らせてくれよう。己ひとり天下に上って何になる。
ならば残された大器、大弟孫権の傍らに存り、その大器が天下に号令する様を見せてくれよう。そう、周瑜は思う。己ひとり天下に存る様を見るより、かの人は悔しい思いをするに違いない。己が側に存ればかの人も望めただろう者を、別の者が、己の弟が手中にする。その様をかの人は九泉の下でどんな顔で受け止めるであろうか?
それが、意趣返しだ。
常に共に存れ、天下を望もうと己の先を導きながら、唐突にその歩みを止め己をひとりこの地に残した男への、これが唯一の意趣返しとなるだろう。
「俺は、」
赦さぬ、と虚空から足許へと視線を落とした周瑜はひくく呟く。
「おらぬなどと…消えるなどと…あいつは、」
まだここに居る。彼はそう続ける。何事も成せず無力なまま、俺の、そして残された全ての者が闘う様を見る事しかできぬずに、けれど居る。闘う事を、前に進む事を、誰よりも疾く駆ける事をこのんだ負けず嫌いなあの男にとって、それはどれほど悔しい事であろう。歯噛みして見ていればいい。ただ見ているだけの者となり果て、けれど俺の前から消える事は赦さぬ。消えてなどおらぬ。決して。
だから哭礼を以て泉下へ送りなどしてやるものか。
「俺もまた、」
同じ思いだ。ただひとつ違うのは、貴殿と違い、俺は慟哭する事が出来た。
太史慈は呟き、労る様な視線を周瑜に向ける。
「かなしいと、己に認める事が出来た。かの人あっての己だと認め、そして俺は死したる者に敗けを認めたのだが、」
貴殿はそれすらも出来ぬのだな、と太史慈は呟き、周瑜はその言葉に応えて嗤う己の顔がさぞ醜く歪んでいる事だろうと、そう思う。
「貴殿がそうして伯符殿の鬼(霊)を傍らに見る限り、」
俺もまた、その鬼となお闘おうとする貴殿を佐けるだろう。とりもなおさずそれは孫家を佐ける結果になるだろうが、それもまた必定。
太史慈の言葉に、周瑜は頷いた。
「伯符は未だ俺の前から消えぬ。ならば、その掴むべき天運も」
俺の前にある。俺はその天運を操り、己の名を刻み、残すのみ。
「…敗けぬ」
奴の為にだけは、哭いてやらぬ。そう告げる周瑜の前に、ただ虚空だけが虚しく広がっている。
けれど、その言葉を知る太史慈もまた居らぬ。理不尽なことだと周瑜は思う。
誰も彼も身勝手に、天運を己の手に残し消えて行く。
『赦せ、』
死を既に悟った太史慈の言葉を聞く事ができたのは、己にとって幸運であったのか否かと周瑜は思う。
『赦せ、貴殿をひとりにしてしまう事を』
身勝手な、とその死に臨む男を自分は詰った。孫伯符という男に敗けを認めず、その天運を信じた同盟者であった筈の男は、道半ばにしてまたしても、自分ひとりに全てを負わせ、伯符と同じ処へ行こうとしている。それを詰った。
自分に膝を折る事も立ち止まる事も赦さぬままに。
『大丈夫たるもの、世に生きては、七尺の剣を帯びて天子の階を升(のぼ)るべきものを、まだその志成らぬうちに、なんと死ぬ事になるか―――』
太史慈の臨終の言葉はそう、伝えられている。
天運に流される事に任せた祖郎と、その天運に己の力で何かを刻み残そうとした太史慈と。奇妙な対照を感じながら、周瑜はただひとり、そこに立っている。
風が世の動きを音に乗せて伝える、その響きを感じ取ろうとしながら。戦禍の響きが近付く、その忙しくも殺伐とした楽藻が水面に映るのを眺めながら。
「今、子義が存ればな、と思わぬでもない」
伯符が存ればどうしたであろうと、とその後に続けた言葉を呑み込み、周瑜は溜息ひとつ吐き出して、天を仰いだ。
疾く降れと、南下する曹操の軍勢はその圧力をつたえる。無言の脅迫は荊州の降伏という事実と80万の軍勢という具体的な形で、この江南を動揺させている。
だが。
「…だが、祖郎殿。おらぬ者が今あればどうしたか、考えてもそれは詮無い事だ。畢竟、意味を成すのは、ここに存るものがどう動くか、それが全てだ」
焦がれても乞うても、それは何も成さぬ。その残酷さがいっそ心地好い。何も成さぬならただ見よ。見るがいい、お前たちが臨む勝利を掴む者の生き様を。
「周郎はやはり、闘われるか」
祖郎はぽつりと、そう尋ねた。周瑜は応えるかわりに肩を竦め、孫権の傍らにある己の友人の名を口にした。
「…魯子敬は、殿にこう云ったそうだ。己はそれなりの家格もあり名声も実績もある。曹操に降ったとて、今より劣る扱いは受けぬだろう。だが殿は如何かと」
「魯子敬らしい云い様ですな」
祖郎は苦笑を浮かべた。周瑜は頷く。
「俺とて、降れば降ったで本家のつてがある。事によっては今以上を望むことはできよう。曹操とてこの俺を無碍にあしらうとは思えん」
だが孫家の一門はどうかと問われれば、誰もが口を噤まざるを得ない。孫家の家格は元々高いものではなく、都にあっては「どこの馬の骨とも知れぬ田舎者」だ。加えて今の当主である孫権は未だ20代の若輩に過ぎない。
この地で力を持つ者であればあるほど、存在自体が邪魔である。それをおして使うよりは、どこかで適当に飼い殺したほうがいい。恐らく2度と日の目を見ることが出来ぬだろう。降伏した劉表の嫡子がどうなったか、その扱いを見れば明らかだ。
「誰もがそんな事は判っている。だが敢えて言下にするところが子敬らしい」
喉奥で周瑜は小気味よさげに笑った。あやつはいつも大きな事を云う、と年嵩の張昭といったお歴々は彼に対して苦い顔を向けるが、周瑜は、そして主君である孫権もまた、その磊落さを好ましいと思っていた。性根にある剛胆さと、事に当ってそれを裏腹なほどの慎重さとが同居し、その場にあって判断を誤らせる事はない。彼もまた、闘うべしとの持論をいちはやく明らかにしていた。
だが、周瑜は己の意思を公には明らかにしていない。譜代の重鎮ともいうべき中で立場を明らかにしていないのは彼だけといっていい。誰もが彼の挙動を意識する中、ただ彼は離れた駐屯地で、命じられた水軍の訓練のみを愚直ともいえる律儀さで繰り返しているばかりだ。
まるで繰り返される調練の退屈さそのものを、楽しんでいるかの様に。
「祖郎どの」
いっそ暢気と言えるほどの声音で、周瑜は船の舳先に身を凭れながら云った。
「そろそろ俺も、妻や子の顔が見たくなってきた」
らしからぬ物言いに、祖郎は怪訝な顔をする。それを揶揄う様な笑みを含み、周瑜は眺めた。
「俺も男だな。周郎は真面目ゆえ、水軍の調練に専心する余り他の何事も顧みぬとは云われているが、実の処」
独り寝が寂しくなってきた頃だ、と彼は似つかわしくないほどに明るい笑い声を立て、躰を起こすと船団の一角を指差す。
「誰の指揮だ。俺が目を逸らした途端、動きが悪くなったぞ」
「周郎、戯れている場合ではなく、」
話を逸らされた態になった祖郎は眉を顰めたまま、更に彼の真意を尋ねようとしたらしい。だがその言葉よりも早く、ひとりの兵が船を渡り、彼等の許へ至急の報を告げた。
即ち、主君孫権より、一刻も早く駐屯地より戻るべしとの早馬が到着したとの報である。
周瑜の端正な貌から、笑みが消えた。
風が聞こえた、と彼にはそう思えた。鳴るか鳴らぬかのかそけき響きが届いたと、そう思えたのだ。琴の弦を圧しただけのその鳴りは、けれども正確にその場の「気」を映す。そして己がそこに響かせるにもっとも良い音を、矯めている。
その弦の響きが、弾かれて彼の頭の中に、響いた。そう、思えた。
「祖郎どの」
改めて姿勢を正し、周瑜は江に背を向けた。
「奥方に、会いに戻られるか」
敢えてそういう問い方をする祖郎に周瑜は微笑って頷く。だが先の微笑いとは違い、その眼差しに勁い光が宿りはじめていた。
「俺は敗けぬよ」
誰にも、と呟いた周瑜の言葉に祖郎はやはり無言で、そのまま周瑜は続ける。
「貴殿が見た天運とやら、まだ俺の傍らにある。その天運、今度は俺が紡いでくれよう」
殿の御為に、と続け、彼は水軍を陸に上げるべく合図を鳴らさせた。その披風(マント)を、不意の強風が靡かせ、吹き上げる。
その風の中で、彼は独り、唇許に笑みを浮かべた。その視線が毒すら孕み、するどく虚空を睨んだ事に気付いた者は、今はいない様だった。
俺は敗けぬ。お前にだけは。
心の中で彼は繰り返す。
見ていろ、お前が成そうとした全て、この俺が成し遂げてくれる。悔しいか?俺も悔しかったさ。お前にひとり残されてどれほどに―――
だからお前だけは決して赦さぬ。赦さぬ限り、お前は俺と共にある。何も成さぬまま、俺の成す事を見るのみだ。お前にとっては最も歯痒いだろう?
「…見ていろ、伯符」
その言葉を聞くものとてなく、虚空のみが広がり、眼前には彼が率いるべき水軍が存る。そして彼が破るべき敵が迫っている。
だが、彼が求める者はおらず、その虚無を認める事ができぬ己の中にある憾(うら)みとも云うべき想い――そのひとに対する想いの全てこそが、彼の前に、求める者が未だそこにあると、彼にだけ伝えてくる。
それこそが、愚衷というべきものかもしれぬ。そう、彼は感じ、恐らくは今、自分はとても哀しいのだと、一片の涙もないまま乾いた心に、そう、想う。
亡き者に未だ捕われ続ける、その事こそが愚衷なのだと。
けれどその想いの満ちた心はやはり空虚で、風の鳴りと鉦鼓の響き、そして水面のゆれるきらめきだけがひとつの楽の様に、彼の今からなすべき事を導く、そればかりだった。
彼が次に降ろす指を待つ弦が顫える様に、風は音なき音を奏で、そして眼の前には落日が江を染める、それだけだった。
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