鬼を見た。




花は撩乱 月宴に向く春、花冷えとはいえいやに肌寒く周瑜は肩に掛かる上掛を首元まで引いた。

雲が月を抱込んで、さきまで仄暗くも月はてらい己が掌の白きも見えたが
今は墨をはいたような闇にすべて熔けて消えた。

夢か、と何故そう思ったかはわからなかった。だが確信していた。


夢だ。


瞑目した重く黒い空気がすこし、開く。

天を仰げば月は天心にて佇まい、女の手のようにからみつく雲をゆっくりとほどいて隙間から
光を落とす。足下に水があった。清水の湛えられた沼に、冬の朽木の様な枯れた白い木が一本、見える。

鬼が居た。


それは既にこの世の者ではない、在りし日の兄弟の姿。

何を語るでもなく白木の枝に拠ってこちらをじッと見ていた。


「伯符」


喉元まで迫上がる己の声が、音を成さずに闇に熔ける。


浅ましい。


夢寐にもまみえんと望む程、己は弱っているか。女々しく、浅ましい。

戛(かつ)、と音がしてその方を向けば  己の腰に剣を穿いてその鞘の鳴る音と知れた。

こんなものを後生大事に持ッているから、鬼が来る。




それは、幼き日に狩りにいでて 珍しくもしくじった孫策が、枯木に当てて折ッた剣。

思い出す閑もなかった。

久しく独りになる事もなく余計を考える事もなく、紛雑とした生活の中でまろぶように飛込んでくる日々を
片端から放り投げては顧みることもなかった。


ある者は孫策が鬼籍に入ったがゆえに哀しみを振り解く無謀なはたらきだ、と囁いた。


ある者は孫策が居らぬようになって軍を掌握せんとする彼の野望が露見した、と噂した。



ほんとうの所は自分でも良く判らなかった。


只、する事がある。

やれる事がある。


だからやっていた。

そこに己の心が、思いが混じることは  なかったような気がする。





沼に足を踏み入れた。

冴え冴えとして波もたたぬ、不思議な水が足下を通り過ぎる。

「伯符」



今度こそ、声が出た。



帯びた鞘から剣を抜き放つ。なかほどから折れている。

月光に照らされてなお白い 目に刺さる美しい白木に比べ、すこし濁った色の剣は

同じ光を受けているのに 黄色くやわらかいあかりを纏っていた。




振り下ろす。




白木はそのままに、孫策の姿だけが断ち割られて霞に消えた。



思い出は日々を重ねて美化される。

記憶の中で飾られたきみは  私の知っているきみではない。

ならば。  ならば思い出すまい。

私が欲しいのは  きみの姿ではない  きみとの思い出でもない

 
私が欲しいのは――――




「これは、返そう」

そのまま剣を水に沈める。

音もなく 吸い込まれるように それは どこまでも沈んでいった。




目が覚めた。

矢張り夢だった。

書庫の奥にしまい込んだ ほんとうのあの剣は もう確かめることもなく そのまま朽ちていくだろう。



こほ、と咳込むと

すこしだけ 掌に血の花が咲いた。



-了-

□白木に拠らうきみの想いを垣間見る□