陳宮&呂布

呂布の解釈には
夢見てるなーと自分で思う部分が多々あります。
云わずと知れた、三国最強にして最凶の漢。

「その目的の善悪を超越して
 ひとつの目的のためだけに絞り込まれた
 その故の美しさ。
 究極の武力の美しさ」

それが使われることの恐怖を知りながら
武器を見て「美しい」と思う、
それと同じ印象を抱いています。

とあるマンガで「純一戦士」と形容されていましたが
まさにそれ。
その呼吸がそのまま戦闘する彼の動きであるような。

兵器はそれを使う者の意志のままに動くのであり
彼の中に善悪は存在しない。
彼自身の中に人間としての意志はあるが
それは武力の中を侵すことはない。
それゆえに「叛服常無し」「獣の男」であったと。

ただ、彼が「主」であり「義父」である、
つまり使用者である「董卓」という存在から逃れようと足掻いた時
彼の武は彼の人格に侵され、破綻がおきた。

かれが独りで立てなかった、自滅していったのはそういうコトなのではなかろうか。

その彼が「彼を使うもの」として認めたのが
彼の「軍師」とも言える位置にあった陳宮ではなかったろうか?
但しそれまでと違うのは、陳宮は彼の「主」ではあり得なかった
それ故に彼を使う器ではなかった。
それなのに呂布は陳宮を側に置く事を認めた。
だからこそ。

彼は軍師である陳宮の策を殆ど容れなかったのであり
むしろ彼に軍師は必要のないものであった筈。
彼を使う「主」には「軍師」が必要で
その下で「使われる」事こそが彼の本質ではなかったか?

陳宮が呂布を選んだのは
善悪を持ちそれを載せる場を持つ男である曹操が
躊躇いもなく悪を悪と踏まえて刃を揮う事に
陳宮の潔癖さが耐えられず
また曹操が軍師を置きながら、本来それに「頼る」事をしない男だったから。
その下で軍師となることは相当の覚悟が必要で
恐らく彼はその状況で我を曲げることもできず
自分の半端ともいえる力量が曹操の下で無力であることにストレスを感じていた筈。

なら何故に呂布か。

呂布の中には「善悪」すら存在せず
呂布の行為に意味付けを齎すのが他者であると陳宮の軍師としての本能が
彼の潔癖さが
響いたのではなかろうか。

ともかく呂布は破れ
時は既に彼という強大なひとつの「兵器」で
流れを変えることのできないものとなっていた。
それを悟った陳宮は死を受け入れ

己がまだ使えるのに廃棄されんとした兵器は悲鳴を挙げた。

悲鳴をあげることで彼は名を汚したか?
恐らくはその伝説を見るものがそれを感じるか否か、そういうコトだと。

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