終着駅、その先に何がある(何があった?)
袋小路からの脱出
鉄旅乗りつぶし派にとってローカル線の終着駅での過ごし方が気になるものだ。近くに観光地があればそれを見に行きたいがローカル線の本数は限られていてすぐに折り返さなければならない。観光地がなかったとしても同じ道を引き返すのはロスが大きい。できれば終着駅から歩いてでも他の鉄道連絡に抜け出たいものだ。ここでは廃止された路線を中心にその終着駅から行けた観光地、徒歩・バス連絡についてまとめてみた。過去形の情報は赤字で表記しています。 | ||
稚内 | 稚内へ来たら宗谷岬は外せない |
日本最北端の駅からは宗谷岬への観光が王道だろう。駅近くの稚内港から利尻・礼文島へのフェリーも出ており、観光には事欠かない。1989年までは急行も通る天北線があり、違うルートで往復することができた。 |
北見枝幸、雄武、仁宇布 | それぞれ興浜北線、興浜南線、美幸線の終着駅でいずれも1985年に廃止。北見枝幸で3つの線が集結する計画だった。北見枝幸から雄武方面へはバス路線がつないでいたが、仁宇布への連絡はなかった。 | |
根室標津 | 標津線の終着駅。夏期には駅前からトドワラ口へバスが出ていた。日本屈指の砂嘴である野付半島の先端付近にある。トドワラとは海水に浸食され立ち腐れていくトドマツのある場所(地名)のこと。現在バス路線はなく、車以外でトドワラにアクセスするには尾岱沼の観光船を利用するしかない。 | |
根室 | 駅前からは本土最東端・納沙布岬へのバスが出ており、今も昔も定番の観光コースだ。鉄道趣味的には根室の隣駅で日本最東端の東根室まで1キロちょっとと歩いていける距離にあり、ぜひとも訪ねておきたい場所だ。できれば列車から乗降して駅を訪ねたい。 | |
糠平、十勝三股 | 糠平は士幌線の途中駅だったが、終着駅・十勝三股との間が鉄道利用者減のため1978年末に事実上廃止となり、実質的な終着駅となった。十勝三股は周辺の森林資源開発の拠点だったが、製材工場が平野部に移転してしまいこの地区の人口が激減したためだ。その先は三国峠越えするしかない。両駅間は代行バスが走ったものの8年後には士幌線自体が廃止された。ところが廃止後にこの周辺の鉄道遺構が見直され、タウシュベツ橋梁をはじめとするアーチ橋群、廃線跡に敷設されたミニレールなど興味深い施設が多い。 | |
新十津川 | かつて留萌線の石狩沼田まで線路がつながっていたが1972年に廃止されて終着駅に。2020年さらなる区間廃止により鉄路が消えた。終着駅になった当初国鉄バスが石狩沼田との間を連絡していた。しかしそれもいつしか滝川駅直通に変更され新十津川駅に乗り入れなくなった。その後は北海道中央バスが、新十津川駅前ではないが町中心部と滝川駅間をつないでおり、効率よく乗り換えできた。 | |
日高町 | 富内線の終着駅だった。石勝線の占冠駅が近かったが、駅前から連絡する国鉄バスは日勝峠を越えて帯広方面へ向かっており、列車を選べば同じ線路を引き返さなくて済んだ。日勝峠展望台からは十勝平野を一望することができる。 | |
室蘭 | 地球岬の絶景 |
室蘭本線の終着駅。室蘭市の中心部にあり、ローカル線の趣きのある他の終着駅とはまるで違う。観光地としては地球岬方面へ向かうバスが出ている。なぜ地球岬という名前がついているかは、岬の上に立ってみるとよくわかる。バスは母恋駅前(室蘭の隣駅)からも乗ることができる。 |
三厩 | 津軽線の終着駅。龍飛崎方面へのバスが連絡する。岬へ向かう国道339号線、全国唯一の「階段国道」が存在する。三厩からの発列車は17時台が最終便になり、時間に余裕を持って訪ねたい。 | |
大畑 | 大畑線(国鉄、後に大畑鉄道)の終着駅だった。マグロで有名な大間崎へはバスが通っている。その路線の一部は鉄道未成線が平行する。大間からはフェリーで函館へ渡ることもできる。鉄道は廃止になっているが大畑駅では車両の動態保存が行われている。 | |
七戸、十和田市 | それぞれ南部縦貫鉄道、十和田観光鉄道の終着駅だった。共に東北本線の駅から内陸側に路線が伸び、角を突き合わせるように対峙していた。七戸ではバスターミナルまで離れていたが、両駅間をバスで行き来できた。鉄道はそれぞれ1997年、2012年に廃止されている。 | |
普代、田老、吉浜 | それぞれ久慈線、宮古線、盛線の終着駅だった。国鉄の廃止対象路線に指定されてしまい国鉄線としての延長開業を断念、日本初の第三セクター鉄道・三陸鉄道により三陸縦貫線が完成した(1984年)。今では3駅ともあまり知名度のない途中駅だ。田老地区には多重の防潮堤が築かれていたものの、それでも危険とする見方もあった(「ローカル線の旅」交通公社・種村直樹著)が、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に伴う大津波の結果その通りとなってしまった。このとき鉄道が不通となるも3年後までに全線復旧を果たしたが、これも地元の鉄道に対する熱意の表れといえる。 | |
烏山、茂木 | それぞれ烏山線、真岡線の終着駅。角を突き合わせるように向かい合っている両駅間にはかつて国鉄バスが連絡していて、両線の乗りつぶしには非常に効率的だった。その昔、烏山~茂木~常陸大子(水郡線)へ鉄道線を延長する計画があって、その経緯からの国鉄バスだったのだろう。2016年現在は茂木駅には通らないが、烏山~市塙間を市営バスが連絡しているもよう。 | |
日光、間藤 | それぞれ日光線と足尾線(現わたらせ渓谷鐡道)の終着駅。両駅間は国道1本でつながっており、駅間連絡は不都合なさそうにみえる。しかし路線バスはなく、まとめて乗りつぶす場合はタクシーのお世話になりそう。日光側は東照宮、中禅寺湖と観光資源に事欠かないが、間藤駅自体その近辺には目だったものはない。終着駅へ行く前に通洞駅近くの「足尾銅山観光」に立ち寄るとよいだろう。 | |
奥多摩 | 青梅線の終着駅。駅前から出るバスは日原鍾乳洞、奥多摩湖方面へ向かっており、自然を満喫できるポイントへ誘う。 | |
西小千谷 | 魚沼線の終着駅だった。上越線の小千谷駅よりもこの駅があった地域が小千谷市の中心部。両駅間は徒歩30分くらいで、乗りつぶしには魚沼線を往復するより効率的なこともあった。駅跡には記念碑が残っている。駅跡にほど近い「錦鯉の里」は必見。 | |
蛸島 | 能登線の終着駅だった。マッチ箱みたいな簡易な駅舎だったが国鉄時代は有人駅。珠洲駅前が始発の国鉄バスが蛸島駅前にも停まり、能登半島先端の禄剛崎への観光ルートとなっていた。能登半島のもう一つの終着駅・輪島(七尾線)へのバス連絡は存在せず、分岐駅の穴水へ戻るしかなく、能登半島の路線の走破は丸1日を要したものだ。ところで蛸島の2つ手前の珠洲駅のスタンプには「能登半島最先端の駅」となっていて、蛸島駅の存在は全く無視されていた。 | |
九頭竜湖、北濃 | それぞれ越美北線、越美南線(現長良川鉄道)の終着駅。線名が示す通り両線はつながれる計画で、両駅間は線路で結ばれることになっていた。その代替の国鉄バスが、美濃白鳥~九頭竜湖間を1日3往復連絡していた。そのバスの途中区間「白馬洞⇔大穴馬」の切符が巷で人気に。しかし白馬洞は閉鎖され、連絡バス自体も廃止された。現在両線間の連絡手段はない。ところで当初九頭竜湖駅は無人駅(現在は駅舎内で切符販売を行う委託駅)で、切符は駅前の商店が切符を発行していた。切符の券面には「九頭竜湖駅前駅」と。 | |
三保 | 清水港線の終着駅だった。1日に1往復しか列車がなく交通機関の機能を果たしていなかった。三保の松原へは歩いていける距離にあったが、今も昔も路線バスで向かうのが常識。現在駅跡はプラットホームと車両の一部を保存する公園になっている。 | |
明智(明知) | 国鉄時代の明知線の終着駅で、明知鉄道転換後、明智駅に表記変更。グルメ列車の方が有名で終着駅の知名度が薄い。お隣愛知県には明治村があって、こちら明智には日本大正村がある。時間があるときは是非訪ねよう。 | |
伊勢奥津 | 名松線の終着駅。名松線はそもそも松坂と名張をつなぐことを目的に建設された路線。近鉄線が既に両都市を結んでいるため延伸などありえない。それでも伊勢奥津と名張の間にバスが通っている。とはいえ本数が極めて少なく、鉄路で引き返すのが無難か。1980年代当時は駅周辺に観光資源はなく、むしろ片田舎の終着駅としての風情が印象深い駅だった。 | |
片町、湊町、桜島 | 大阪環状線から飛び出るひげ線で、それぞれ片町線、関西本線、桜島線の終点。片町駅は京橋駅から500メートルしか離れていなかったこともあり、JR東西線の開通とともに廃止。湊町は地上駅だったがJR難波と名を変えて地下に潜った。桜島はUSJ開業とともに移転。近くには天保山方面への渡船のりばがある。 | |
東羽衣、高師浜 | それぞれJR阪和線の東羽衣支線、南海高師浜線の終点。東羽衣駅は高師浜線が分岐する羽衣駅に隣接する。JR、南海とも本線から分岐する形で短い支線が海岸を目指しているという不思議な線形。これは明治から昭和初期までこの辺りが海水浴場が広がる一大リゾート地で、鉄道会社が競って路線を敷いたからだ。百人一首にも「音に聞く高師の浜の・・」と歌われており、平安時代から知られた地名だった。そしてその歌碑が高師浜駅に近接する高石神社にあり。 | |
尼崎港、和田岬、飾磨港 | 何もかもが変則の和田岬支線 |
それぞれ福知山線、山陽本線、播但線の支線で、山陽本線側から港湾部に延びるミニ路線。朝夕しか列車がなくしかも本数が極端に少ない通勤型路線。駅前に大工場を控える和田岬だけ現存。しかし線路が邪魔だと地元から廃止を求められるとは心もとない。廃止された2駅は最寄りの私鉄駅から歩いていける距離にあった。駅跡周辺には観光施設はなく、線路跡を辿りながら駅跡を観察しよう。 |
大社、出雲大社前 | それぞれ国鉄・大社線と一畑電車・大社線の終点。両駅間は徒歩約10分。大社駅は出雲大社を模した神社建築を採用しているのに対し、出雲大社前駅はステンドグラスを取り入れた洋風建築と対照的。大社駅駅舎は1990年の廃止後も残され、重要な観光資源に。出雲大社は言うまでもないが、駅前などから日御碕灯台行きのバスが連絡する。 | |
三段峡 | 可部線の終着駅だった。駅の辺りから上流へ三段峡渓谷が10キロ以上にわたって続く。結構山深く、晴天でも気味悪いほど薄暗い。驚くことにこの谷を越えて山陰本線・浜田駅まで延伸する計画があった。2003年に可部線の大半が廃止され、三段峡にはもう列車はやってこない。とはいえ広島市内からのバス路線が存在しており、駅跡を観察しながら渓谷歩きにチャレンジできる。 | |
仙崎 | 山陰本線・仙崎支線の終着駅。金子みすゞの出身地でその記念館があることで一時有名になったが、文学に興味のない向きには駅にほど近い港から青海島観光の遊覧船が出ており自然景観を楽しむのがよいだろう。ただし列車本数が少ないことが難点だ。 | |
海部、甲浦 | 海部はJR牟岐線の終着駅だが阿佐海岸鉄道とは線路がつながっていて、鉄路としての終着駅は甲浦である。元々国鉄時代には阿佐線の計画があって土讃本線・後免駅につながる予定だった。室戸岬行きのバスが連絡、さらに土佐くろしお鉄道・奈半利駅へもつながっていて、効率よく観光+乗りつぶしができるだろう。 | |
中村、宿毛 | 国鉄時代の中村線の終着駅が中村で、土佐くろしお鉄道に移管後延伸し宿毛が現在の終着駅に。四国最南端の足摺岬へは中村駅からバスに乗り換え。宿毛駅からは宇和島方面へのバスが出ているが、一気に四国の鉄道線を乗ってしまいたい場合は窪川まで引き返すのが都合よい。 | |
若松 | 筑豊本線の終着駅。鹿児島本線は洞海湾を挟んで対岸にあり、駅からしばらく歩いたところにある若戸大橋の真下に渡船があり、戸畑駅へ歩いて行ける。この渡船の運賃は100円(1985年に利用した時は20円だった)。当時は破格の安さと思った(それを時刻表に掲載していること自体驚きだった)が、公共交通手段として安価もしくは無料の渡船が結構あるようだ。 | |
宇美 | 香椎線の終着駅。駅前から100メートルほど離れたところに勝田線の宇美駅があった。線路はつながっておらず駅舎も別ながら同じ駅扱い。したがって1枚の切符で乗り換えることができた(いわゆる一筆書き切符の遠回り乗車も可能)。ただし勝田線の運転本数が少なく、連絡機能はほとんどなかった。 | |
高森、高千穂 | それぞれ国鉄・高森線、高千穂線の終着駅。後に第3セクター・南阿蘇鉄道、高千穂鉄道に転換したものの高千穂鉄道は台風による水害で設備に甚大な損傷を受け2008年に廃止、南阿蘇鉄道も熊本大地震で被災し運行再開のめどがたっていない。両線はつながれる計画がかつて存在し、実際両駅間で一部工事が着工されていた。鉄道存続時は両地区間を民間のバスがつないでおり、両線を効率よく乗ることができた。 | |
志布志 | 日南線の終着駅。今でこそ小さな無人駅だがかつては志布志線、大隅線も集結する大きな駅だった。距離は長いが大隅線代替のバスが残っており(垂水で乗り換え要)日豊本線・国分駅方面へ向かうことができる。その車窓からは鉄道現役時代と同じくきっと桜島を見ることができるだろう。 | |
枕崎 | 指宿枕崎線の終着駅。鹿児島交通バスが鹿児島本線・伊集院までつないでおり、これを利用すれば長い鉄路を往復しなくて済む。このバス路線こそかつて同社の鉄道線であった。枕崎駅の旧駅舎もJRではなく同社のものだった。 |