総合 |
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- 大会に「ワールドカップ」と一般に名前が付くようになったのは1974年大会から
- それ以前は、「ジュール・リメ杯 世界選手権大会」と呼ばれていた。1970年大会で3度目の優勝を果たしたブラジルがジュール・リメカップを永久保持することになったため名称変更の必要が発生していた。
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- 最初のトロフィー「ジュール・リメ杯」は3回優勝で永久保持の権利が与えられた
- 1970年に優勝したブラジルが達成 。ちなみにそのトロフィーは盗難に遭い行方不明に。
- 創成期はイングランドなど英国4協会が大会を無視するなど、ステータスは確立されていなかった
- 4協会選手権こそが世界一と考えていた尊大なイギリス人たち。初めて予選参加したのは、1950年大会。
- 第1回が開催されたのはヨーロッパではなく、南米の小国ウルグアイ。
- ウルグアイは直前のオリンピックで優勝していたし、南米諸国が独立100年を迎えていたことから、ヨーロッパ側が開催を譲った。
- FIFA傘下の大陸連盟は6つ
- UEFA(ヨーロッパ)、CONMEBOL(南米)、CONCACAF(北中米カリブ海)、CAF(アフリカ)、AFC(アジア)、OFC(オセアニア)
- 本大会出場国数は第1回大会以降長く16ヵ国体制。出場枠がヨーロッパと南米に偏重していたため、アジア、アフリカ大陸連が予選をボイコットしていた。
- 1966年大会まで、アジア+アフリカ+オセアニアで1枠だった。ボイコットを抜け駆けした北朝鮮が本大会でグループリーグを突破した功績が認められ、翌1970年大会からアフリカ1、アジア+オセアニアで1枠に。
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- イングランドのサッカー協会の正式名称に"England"の文字はない
- 他国に先駆けてサッカー連盟を組織ため、単にThe Football Associationの名称。その後FIFAなどの組織ができても、一貫して普通名詞的な名称を捨てようとしない。
- 予選参加は1回だけ。ザールラントとは。
- 第2次大戦の戦後処理に関連して旧西ドイツ内に独立したサッカー協会が誕生。1954年大会の予選にだけエントリー。本国の西ドイツと対戦したが敗退。
- 加盟国の3文字略号、紛らわしい国名はどう区別している?
- カメルーン(Cameroon)とカンボジア(Cambodia)、ナイジェリア(Nigeria)とニジェール(Niger)、スロバキア(Slovakia)とスロベニア(Slovenia)、それぞれ順番に、CMR, CAM, NGA, NIG, SVK, SVN
- ならばモルジブ、モルドバ、ギリシャ、グレナダ、モーリシャス、モーリタニアは?
- MDV, MVA, GRE, GND, MTU, MTN
- 本大会出場実績が消える?「オランダ領東インド諸島」
- 1938年に1度だけ出場。近年、インドネシアの記録として認められるようになった。日本がアジア予選を棄権したため戦わずに本大会出場、トーナメント制の初戦で敗退したため本大会の戦績が1試合しか記録されていない唯一の国でもある。
- 南米大陸にありながら南米サッカー連盟CONMEBOLに加盟していない国がある
- ガイアナ、スリナムはCONCACAF(北中米カリブ海)所属。
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- 「ホスト国で、自国開催する前に一度も予選突破出来なかった国はない。」長年あったこのジンクスが破られた。
- 2022年開催予定のカタールが不名誉なジンクス破り。ちなみに日本も危なかった。
- 予選が免除されるホスト国でありながら予選参加したのは2010年大会の南アフリカ。
- アフリカネイションズカップの予選も兼ねていたため。1934年大会のホスト国・イタリアは予選参加が義務付けられていた。
- 優勝経験国(8ヶ国)のうち、自国開催で優勝を逃したのはブラジルとスペイン。
- 1950年大会、ブラジル・「マラカナンの悲劇」、1982年大会のスペインは1勝止まりの大惨敗。
- 自国開催した後の大会で予選敗退を経験している国は多数。
- ウルグアイ、イタリア、フランス、スイス、スウェーデン、チリ、イングランド、メキシコ、アメリカ、南アフリカ
- 逆に、自国開催以後も必ず予選突破しているのは、
- ブラジル、ドイツ、アルゼンチン、スペイン、日本、韓国
- 自国開催で、本大会1次リーグを突破できなかったのは、南アフリカ(2010年)が唯一。
- 2010年以前はジンクスとして語り継がれていた。幸い南アフリカは1勝を挙げており、不名誉な「勝ち星なし」は免れた。
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- 全大会出場のブラジルに次ぐ連続出場記録は、ドイツの17回連続(2018年大会含む)
- ただし開催国で2度、前回優勝で3度予選免除されていて、予選突破としては12連続。
- 予選敗退回数のワースト記録は?
- ルクセンブルグが第2回大会(1934年)以降20回予選落ち(2018年大会まで)しており、連続記録としても最多。
- アジア予選、1度だけ完全に東西に分離して代表を決めていた。
- 1986年メキシコ大会のアジア出場枠は2ヵ国。東西で1ヵ国ずつ勝者を決定する方式。ちなみに日本は思いがけず東アジア地区決勝に進出するも韓国に敗れる。
- 予選における最大得点差試合は31-0
- 2002年大会のオセアニア予選でのオーストラリア対米国領サモア。
- ゴールデンゴール(Vゴール)方式が予選で唯一適用されたのはこの試合
- 1998年大会のアジア予選の第3代表決定戦、日本対イラン戦。
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- 1次リーグのシードが設けられたのは1954年大会から
- しかも1954年だけ1グループに2チームのシード。シード国同士は非対戦。
- 1950年大会だけ「決勝戦」なし。
- 1次リーグを勝ち上がった4チームによるリーグ戦。偶然にも優勝を争う2チーム、ウルグアイとブラジルの対戦が最終戦となった。
- リーグ戦のない完全トーナメント制の大会があった。
- 第2次大戦前にヨーロッパで行われた1934年、1938年大会は16チームによるトーナメントだけで優勝が争われた。
- 2026年大会から1次リーグは3チーム制。しかしこれ以前に正式なフォーマットとして3チーム制のリーグ戦が採用されたことがあった。
- 1982年スペイン大会、出場国が16から24に増えた最初の大会で、1次リーグを突破した12カ国を4グループに分けて2次リーグが行われた。
- 1次リーグ突破の当落線上の同じ勝ち点で並ぶチーム間の順位を決めるのに、プレーオフが行われていた。
- 現在は、得失点差、総得点、当該チーム間の対戦結果、フェアープレーポイントの成績で順位付けされるが、1958年大会までは決勝トーナメント進出を競うプレーオフが行われていた。1954年と1958年大会で実際に適用され、特に後者は3試合も発生。
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- 1チーム1試合最多得点試合のスコアは10-1
- 1982年大会、ハンガリーが対エルサルバドル戦で記録。
- 1試合両チーム総得点の記録は12点で、そのスコアは7-5。
- 1954年大会の準々決勝、オーストリア対スイス戦で記録。この試合、両チームからハットトリック達成者が出る。
- 最大点差逆転試合の点差は3点
- これも1954年のオーストリア対スイスと、1966年のポルトガル対北朝鮮の試合。
- 同一大会で同じ相手に2度対戦するのは何度かあるが、劇的な逆転劇は?
- 1954年の西ドイツ対ハンガリー。1次リーグは8-3でハンガリーの勝ち、決勝戦は西ドイツが3-2で勝利し優勝。
- 本大会に5回以上出場しながら、1次リーグを突破出来ていない国は?
- スコットランドとイラン。なお、メキシコと韓国はともの6回目出場で1次リーグ初突破(共にホスト国で)。)
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