『瑞希、揺れる思い』

               WRITTEN BY 神風(旧黒猫)

 

 

 

 

トゥルルル……トゥルルル……ガチャ

「もしもし、千堂ですが」

「あっ!和樹、私だけど……」

「ただ今、留守にしているか、電話に出られない状態です。御用の方は、ピーという発信音の後……」

瑞希は諦めの溜め息とともに、受話器を置いた。こんなふうに和樹が、つかまらなくなったのは今年の四月からだ。

そう、アイツが同人を始めてから……。

「あーあ、私も情けないなあ」

和樹がいないというだけで、瑞希の周りは色彩を失ってしまった。魅力的に見えていたサークルもキャンパスライフも、

何もかもがである。一度は和樹が同人をやることを認めて、応援すると約束しておきながら……。

結局、和樹がいないとなんにもできないのかなあ……。

自己嫌悪。自分がこんなにも和樹に依存していたとは気づかなかった。

トゥルルル……トゥルルル……

瑞希の思考を断ち切るように電話が鳴る。

もしかして、和樹?

ひとすじの希望とともに、電話を取る。

「もしもし、高瀬ですけど」

「おー!まいしすたー瑞希!久方ぶりであるな!実はちと話が」

プシッツーツーツー

有無を言わさず瑞希は、電話線をひっこ抜く。長年の経験から学んだ知恵だ。電話を切るだけでは生温い。

なにしろ相手はあの大志なのだ。さらに大急ぎで出かける準備をする瑞希。パーカーを羽織り、サイフをポケットに

ほうり込んで、準備OK!!

この間、わずか10秒。

ドタバタと部屋を横切り、ドアを開け、いざ!自由の大地へ!

「へろ〜、まいしすたー」

ドアの前には携帯を持った、諸悪の根元、20世紀最大のおたく、この男からおたくを奪ったら、一体なにが残るのか?

と誰もが疑問に思う、九品仏大志。その人であった。

   ・

   ・

   ・

「まあ、同志瑞希。そんなにむくれるな。ささっ、ここの紅茶は絶品だぞ」

大志が瑞希を連れてきたのは、駅前の洒落た感じの喫茶店だった。照明が抑えられ、アンティークショップのような

趣がある。

ほどよく効いたエアコンがうれしい。まだ八月の上旬、夏真っ盛りなのだから。

瑞希はフンといいながら、その液体を口に含む。

「あっ……美味しい」

口の中に豊潤な味わいが広がり、そして昂ぶっていた気持ちを鎮めるかのように良い香りが瑞希を包む。

「だろう?実は牧村女史から教わった店なのだ。我輩もちょくちょく寄っている。」

そう言って、大志もまた紅茶を飲む。半分ほど飲んだ頃、大志は話を切り出した。

「話というのは、同志和樹のことだ」

「和樹の…?」

「うむ。窓際のテーブル、奥から2番目を見よ」

「窓際……あっ!」

「ばか者、大声をだすな。気づかれるではないか」

そこには、見知らぬ女性と卓を挟んで談笑している和樹の姿があった。

「……ちょっと、どういうこと!?」

大志の首を引っこ抜くかの如く、むなぐらを掴みあげる瑞希。

「落ち着き給え、同志瑞希!気づかれるではないか!」

「……わかったわよ」

渋々、といった感じで大志を解放する瑞希。

「……まったく。まあいい、同志和樹とあの女性…牧村女史というのだが、この二人がこの店で最近、密会している

という情報を我輩のネットワークから入手してな。……どう思う、同志瑞希?」

「どうって……どういうこと?」

「フウ……こう言ってはなんだが、牧村女史は料理、裁縫、家事、園芸…その他もろもろできる。

更にはこみパスタッフの一人で、和樹とは趣味も会う。しかも彼女が一声掛ければ、全国の同人作家およそ

八割が動くという、こみパの影のクイーンだ。

そして今、そんな人と同志和樹が楽しそうに話している……これらの情報から導き出される結論は一つだ」

「……」

すでに大志の言葉など、瑞希の耳には入って来なかった。目の前の今まで見た事がないような表情で、笑い、

微笑み、冗談を言う和樹。

そして贈り物なのだろう。和樹は手に持っていた包みをその女性に渡す。彼女は少し困ったような顔をしたが、

その後、微笑んで

包みを受け取った……。

 

ちょっと待ってよ。和樹に限って……だって和樹はいつだって、そんなふうには見えなくて……。私の知らない

ところで、私にないしょで……和樹!

「ズバリ!スタッフと裏で繋がり、こみパの独占!許せんぞ、同志和樹!我輩にないしょで我らの大望を一人で

推進させているとは!

ともに裏切り者に裁きを与えようではないか、同志瑞希!……あれっ?どこだ、同志瑞希?」

キョロキョロと辺りを見まわす大志に、ウェイトレスが恐る恐る近づき

「あのう……お連れの方なら、さっき泣きそうな顔で出ていかれましたけど……」

   ・

   ・

   ・

夕闇の中、ソファの上でうずくまり、瑞希は考えていた。

和樹は高校の頃、実はもてていた。美術コンクールで毎回といっていいほど、賞をもらっていたし、後輩への

面倒見もよかった。

そこそこ運動神経も良かった。勉強は中の下くらいだったが、まあそれは、愛敬だろう。誰にでも優しかったし、

誰か一人に対して特別な感情を持って接することははぼ無かったと言っていい。(大志を除いては)

なんだったんだろ、わたし。

和樹は自分をどう思っていたのだろうか。口やかましく、おせっかいな腐れ縁の親友。それだけだったのでは

ないだろうか。和樹から見れば大志と自分は、違いなど無かったのかもしれない。男と女。性の違いなど、

「友人」には必要ない。和樹にとって、わたしは親友。それが、すべて。

それだけの……それだけだったはずなのに……

自分は「特別」に近いと思っていた。事実そうだった。100パーセントじゃなくても近似値であればいいと思い、

そこから一歩も踏み出せずにいた。思いを告げて、関係がギクシャクするよりは、と。ずっと……そう思って……。

ピンポーン

来客用チャイムが鳴る。だが瑞希は立ち上がらない。立ち上がりたくない。

ピンポーンピンポピンポピンポピンポピンポピンポ……

相手はどうしても瑞希に会いたいのか、それとも嫌がらせか。

「もう、なんなのよ!」

とうとう瑞希は折れて、玄関に向かう。

「一体誰よ!?こんな時間に……って和樹?」

「そっ俺だよ。ええっと…」

和樹は腕時計に視線をずらし、安心したように、ほっと息を吐いた。

「よし!ぎりぎりセーフだな」

「へっ?」

「何つ立ってんだよ?急ぐぞ。もう時間ねえんだからな!」

和樹は瑞希を掴んで駆け出す。

「ちょっと、何いきなり?」

「来ればわかるって」

瑞希の手を引いて走る和樹。橋を越え、公園を横切り、着いたのは……。

「ここ、確かこみパの……?」

「そっ、準備会事務所だ。ええっと……、いた!南さーん」

和樹が入口にいる小柄な女性に対し手を振る。瑞希も知っている女性だ。

「牧村さん……」

「あれっ瑞希、知ってるのか?」

「ふふっ、今日喫茶店で会いましたよね?」

全部わかってますよ、というまるで娘を見る母親のように微笑む南。そして瑞希に耳打ちする。

(大丈夫ですよ、和樹さんは気づいていませんから)

その一言で瑞希にはわかった。南が喫茶店で、わざと気づいていないフリをしていたことが。瑞希の気持ちも

察していたことが。

(この人、すっごい優しい人なんだ)

和樹が好きになるのもわかる気がする。自分はここまで、恋敵にたいしてやさしくはなれない。

「和樹さん、はいこれ。もう始まってますよ」

「あっ、それ……」

そう言って、南は和樹に包みを一つ手渡す。それは瑞希も見覚えがあった。昼に喫茶店で和樹が南に

プレゼントしていた包み、そのものであったからだ。

「さんきゅ、南さん。じゃっ行こうぜ、瑞希」

「あっ、ちょっと待って、瑞希さん」

南はもう一度だけ瑞希に耳打ちする。

(がんばって)

「へっ?」

「おーい、早く来いよー、瑞希ぃ!」

南の言葉の意味も推し量れぬまま、和樹に急かされる瑞希。見ると和樹は建物に外付けされている階段の

中ほどにいた。

「ちょっと……もう!わかったわよ!」

何が何だかもうわからない。だったら聞くまでだ。和樹にすべてを。

二段どころか、四段飛ばしで階段を駆け登る瑞希。多少息切れしながらも屋上にたどり着く。すると、

「わあ……」

そこからは、花火が見えた。白の大輪。そして碧と緋のイルミネーションがビルのガラス面に映えて、まるで、

万華鏡をのぞきこんだかのように、幻想的で美しかった。

「すごいだろ?南さんの話じゃ、ちょうどこの場所しかこんなふうには見えないんだってさ」

「奇麗……」

瑞希が見とれてる間に和樹は包みを開け、その中身を瑞希に掛ける。

「えっ……これ?」

「よし、やっぱ良く似合う」

和樹は微笑みながら、即席浴衣美人を見やる。所々におしとやかな花があしらってある上品な浴衣だった。

「ちょっと和樹、これどうしたの?」

「ああっ、南さんに安く譲ってもらったんだよ、綻びてたところは……俺も頑張ったが、大体南さんが直してくれた。

いい人だよな、南さんって」

(それじゃ、プレゼントじゃなくて……、浴衣の縫製を……)

目立たない所、例えば、脇や裾などが少々ぶきっちょに縫い合わされていた。乱暴にではないが、奇麗にという

わけでもない。

どこか人を和ませる、本当に和樹らしい縫い方。

なんだか、悩んでいた自分がバカみたく思えてきた。ただ、信じればよかったのだ。

嬉しさともに安堵する、瑞希。しかしそうなると人間、イジワルしたくなるものだ。

「でもいいの?和樹、牧村さんとつきあっているんでしょ?」

「はあ?俺と牧村さんはそんなんじゃねーよ。それに……俺には好きなやつが……あ〜くそっ!いーか、

一度しか言わねーからよく聞けよ、俺はお前が……」

和樹は顔を真っ赤にして、けれども瑞希を真っ直ぐにみつめて、

「多分、ずっと前から……俺はお前が……」

瑞希は両手を口にやり、和樹の言葉を待っている。ずっと待ち望んでいた言葉を。

「す……」

ガシャーーーーーーン!!

「いたたたた、なにすんのよ温泉パンダ!せっかくいいとこだったのに!」

「あほ!そりゃ、こっちの台詞やわ!せっかくの和樹の告白シーンが台無しやないか!」

「そーよねー、せっかくの千堂くんの晴れ舞台が、二人のせいで台無し。あーあ千堂くんかわいそ」

「なに言うてんねん、このコスプレ女!おんどれが後ろから押さなければ万事OKやったんやで!」

「なによー、わたしだって押されたのよ」

「その……痛いです。はやくどいて下さい」

寄りかかっていた柵が荷重に耐え切れず壊れ、それで倒れている詠美、由宇、玲子、彩。そしてそれを

見下ろす大志。

「ふっ……まったく、醜いものだ。そうは思わないかね?まいぶらざー、あんど、まいしすたー?」

「その、ごめんなさい和樹さん。私とめたんですけど、無理矢理……」

和樹は低く笑い出し……

「ふふふふ……このばかたれどもがー!!

「ちょっと、ちょっと、なんでいっしょの方向に逃げるのよ、温泉パンダぁー!」

「おんどれが、わいの後つけとるからじゃ、ボケェーーー!」

「やっぱ、こうなったわねー。マジギレしてるわ、千堂くん」

「こわい、です」

「何故だ、同志和樹!?マリアナ海溝よりも深い友情を結んだ戦友(とも)を追い掛け回すとは!?」

「自分の胸に聞いてみろー!」

もはや、半泣きになりながら五人を追い掛け回す和樹。ぐるぐると屋上を駆け回っている、六人。そんな騒動の外で。

「ごめんなさい、瑞希さん。みんなを止められなくて」

「いえ、いいんですよ」

どこか晴れやかで、そして和樹たちを見て微笑んでいる瑞希。何かをふっきった者がみせる、そんな顔。

告白はまだ、終わっていないのに……。

「どうしたんです?」

「その、わかったんです。」

「何が、ですか?」

瑞希は極上の微笑みを浮かべ、

「信じればいいんです。信じれば和樹は応えてくれる、そういうヤツだって、わかったんです。」

空には、星が祝福するように輝く。数年後、和樹はそんな色をした銀の婚約指輪を瑞希に贈ることになるのだが……、

それはまた別の話であろう。

 

 

 

 

       了

 

 

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