剣岳

日本百名山を始めとして北から南までこれまで日本中の多くの山を登ってきた僕だが
“最も好きな山は”と尋ねられれば迷うことなく北アルプスの剣岳2998mと答えるだ
ろう。かの深田久弥も著書の中で北アルプスの南の重鎮を穂高とすれば,北の俊英は
剣岳であろう,層々たる岩に鎧われて,豪宕,峻烈,高邁の風格を兼ね備えた山であ
ると紹介している。

これまで日本の著名な登山家たちの多くはこの剣岳でトレーニングを積み,心身を鍛
えながら世界の山へと羽ばたいて行ったと言っても過言ではない。僕自身も山に真剣
に取り組みはじめたきっかけはやはり剣岳に登ったことが始まりであった。テントを
担いでの別山尾根を皮切りに,早月尾根,小窓尾根,源治郎尾根,北方稜線といった
岩場や池の谷,長治郎谷,平蔵谷と言った雪渓まで山頂に通じる道は登山道のあるな
しに関わらずそのすべてをがむしゃらになって登り尽くしてしまった。

そのほとんどが厳しいアプローチであったが時には命かながらすべて単独行で制覇し
たものであった。その当時はまだ若かったこともあり怖いもの知らずであった。山を
始めた10年前から今でも毎年どこかのルートから剣岳に登っている。登頂歴も既に20
回を越すほどになった。

剣岳は夏だけではなく季節を越えて魅力に富んだ山である。積雪期には最も得意な山
スキーを利用して山頂付近から平蔵谷や長治郎谷などの雪渓をスキーで滑り降りるの
も楽しいし,秋の見事な紅葉は多分日本広しと言え剣岳に勝る場所はないと感じてい
る。特に仙人池や池ノ平から眺める八峰と紅葉のコントラストは日本でも最も美しい
風景の一つとして多くの写真家が絶賛するほどである。

富山県立中央病院に勤務していた頃9階建ての病院の窓から見えるその屹立とした圧
倒的な姿によく仕事を忘れてボーッと眺めていたものであった。この病院で生まれた
四男に剣(つるぎ)という名前を付けたのもごく自然の成り行きであった。

この四男が昨年小学校2年生になったので,夏休みに馬場島から早月尾根をたどって
山頂まで連れて行った。標高差2200mと小2にしては少しきつい修行ではあったが,こ
れがおまえの山だよ,日本一素晴らしい山なんだと何度も言い聞かせながら頑張らせ
た。下山途中土砂降りにあうというハプニングにもめげず11時間かけて日帰りで往復
した姿によく頑張ったと褒め称えたものであった。

金沢で開業して以来剣岳の姿を間近に見ることが出来なくなったことは残念だが,寒
さの厳しい冬晴れの日は医院3階の窓から南東の方角にわずかにその姿を眺めること
ができ,そんな日はまた僕の登山意欲が駆り立てられるのである。


馬場島にある石碑で剣と一緒に