山岳ドクター

これまで趣味として単独で自由勝手に山登りを続けてきたのだが,少しは世の中のお
役に立つこともしている。それは文部科学省が所管とする登山研修所(通称文登研)
の医療講師としてであり,これまで長年山岳ドクターとして文登研との関わりを持っ
てきた。

文登研は昭和40年の北アルプス薬師岳での愛知大学生13名の遭難死亡事故を契機に設
立された国の大学山岳部のリーダー育成機関である。過去30年以上にわたり延べ1万
数千人の受講生を育てている。ただし最近登山はきつい・汚い・危険の3Kの代名詞
ともなり大学生の間でも人気が薄れているのも事実である。本当はこの3K以上に素
晴らしい世界があると僕は考えているのだが。

たまたま富山の病院で検診を担当していた際,文登研の職員を診察したのが縁で文登
研の活動に深く共感をして活動を共にするようになった。主な任務は積雪期に剣岳や
大日岳周辺で開催される約1週間にわたる登山研修会の医療講師として大学生の健康
を管理することである。といっても決して楽な仕事ではない。体力バンバンの大学山
岳部の学生に随行して20kg以上の医療装備や登山用具を担いで山に登り緊急事態が発
生すれば現場に駆けつけ治療に当たらなければならないからである。医療器具を持ち
ながら学生に随行して積雪期に剣岳登攀を行うことはそれなりに危険も伴うため毎回
妻には万が一の時のために備えておくようにと伝えていた。

山の中での医療は下界とは大きく異なりCTやレントゲンがあるわけでもなく当時はパ
ルスオキシメーターすらなかった時代でありまさに聴診器が唯一の診察用具であった。
ある研修会では咳が止まらないという学生を診察したところ両肺野に湿性ラ音を聴取
し,高山病の一種である重い肺水腫に罹患されていると思われ緊急でそりに乗せ下山
させたことがあった。病院での動脈血酸素飽和濃度は50%を切り両肺真っ白とICUに
搬送され一命を取り留めた学生もいた。もしただの風邪と診断していたらと思うと背
筋が寒くなったものだった。

肺水腫だけでも過去数例搬送する事態もあったし,切った張ったの外科的処置も日常
茶飯事だった。毎回研修会が無事に終わり立山町にある文登研本部に戻るまでは気の
抜けない日々の連続であった。国の主催する研修会で万が一のことが起きれば医療責
任者としてただでは済まないからである。

これまで死亡事故が一件も起きていないことだけが自慢であったが数年前大日岳の冬
山研修会中に雪庇崩落事故が起き2名の学生が亡くなってしまった。たまたま開業の
準備でその研修会は後輩に出てもらっていたのだが事故の一報を受け僕は直ちに捜索
本部に駆けつけその後も捜索活動に協力した。

病院勤務当時は同僚に無理を言って代理を立て研修会に毎年参加していたが開業医と
なってからは代理を立てられるわけもなく研修会に参加できなくなってしまいとても
残念に思っている。それでも自分の出来る限りで山で身につけた経験と本職の医療で
これからも山の世界でお役に立てればと考えている。

剣岳での研修風景

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