日本百名山

日本百名山は石川県出身の深田久弥が昭和39年に雑誌で発表したのが始まりで,あま
りにも有名であり今でも多くの登山愛好家が彼の選定した百名山を目標に登山を続け
ている。百名山だけを目標に遮二無二なって登山を続けるのは寂しいが,山を良く知
らないものにとってはこの基準は明快であり,全国の名山巡りを続けるのにも都合が
よい選定であることは確かである。

僕も御多分に漏れず足かけ約8年をかけて百名山をすべて登り終えた。医者にとって
日本百名山を登ることはかなり難しいことに違いないと思う。何よりも休みが少なく
時間がないからである。勤務医時代に百名山を登り尽くしたわけだが,それこそ盆も
正月もなく休日を返上して病院で働きずくめであったからとにかく時間を作ることが
大変であった。

当時の病院は週休二日なんて夢のまた夢でありどれほど完全週休二日制の公務員がう
らやましかったことか。医者の場合は仕事が終わった後でも患者の急変で夜中に病院
から呼ばれることも度々であったし,山に出発した後高速道路上でポケベルが鳴り出
し呼び戻されたことも何度かあった。とにかく自分の時間がなかなかとれない。ただ
し学会発表の場合だけは病院では代理を立てて数日間の出張が許されたため学会の出
席の合間をぬってその行き帰りを利用して山に登ることが出来た。ただし時間がない
ためそのほとんどが速効登山であり1日に2〜3山を登ることも良くあった。現在の
単独・速効の登山スタイルはそのころから身に付いた医師としての職業上構築された
スタイルなのかも知れない。

百名山の中でも最も北にある利尻岳などは旭川の学会に出席した帰り車で300km近く
走って稚内に着き,稚内からフェリーに乗って利尻島に渡り日帰りで帰って来るとい
うものだったし,最も南の鹿児島の屋久島にある宮之浦岳などは九州の学会の際に金
沢から鹿児島まで1300km近くも車で運転してフェリーで島に渡って登りに行ったもの
だった。とにかく時間と体力を極限まで突き詰めての登山であった。

ただし山を巡る全国周遊の旅はその土地それぞれの風土,自然,歴史,人情を知る上
でも実に有意義であった。どこにでもあるような大都市を巡って旅をしたところで何
も得るものはない。やはり自然に接することがその土地を知る一番の近道であろう。
南海の孤島の屋久島の宮之浦岳でも冬はかなりの雪が積もる事を知ったのは驚きだっ
たし,利尻岳ではわずか標高数百mから北アルプスの高地でしか見られない高山植物
に出会えたのも驚きであった。

人にはそれぞれ自分なりの百名山というものがあるだろう。僕にとっては北海道では
カムイエクウチカウシ山,ニペソツ山,本州では毛勝山や焼山が九州では大崩山など
が深田の選定外の感動の深い山であった。

最近では登山道のない積雪期にしか行けない秘境の山に特に興味を持つようになって
きた。開業医となった今,入院患者がいないことは精神的にかなり楽である。これか
らも未開の秘境の山を訪ね自分なりの百名山を探してみたい。

大崩山(大分県)

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