九州-金沢ロングライド

記録2016年10月9日(日)-12日(水)

前夜10/8(土)から初日10/9(日)

九州-金沢ロングライドは是非とも成し遂げなければならない夢であった.九州-金沢間を潮風を受けながらひたすら走りたい、自分にとって残されたチャンスはそれほど多く無いはずだ.やるなら今しかないと考えていた.全行程予備日も含めて最低四日は必要だ.この連休に賭けていた.当初単独で決行の予定だったが直前になってさきさんも参加したいと申し出がありならばと二人で目指す事にした。

ただこの計画にはいくつか壁があった.最初金沢を起点に南下のつもりだったが土曜夜から冷たい雨が降るとの事で雨を避けるため急遽金沢から九州へ新幹線で行って小倉から金沢を目指す計画変更となった.ただ18時46分の列車に間に合うか?仕事は18時まで 間に合わなければ計画は全てパーになる.朝から気合い入れまくりで仕事をこなし18時には仕事を終え急いで駅に向かい列車に間に合った.

しかし京都での新幹線乗り換えで乗る列車を間違えて絶体絶命、しかし京都駅で走り回ってギリギリ最終新幹線に間に合った.小倉駅に着いて予約していた僕のシングルルームにさきさんとチェックイン、ツイン変更は空きが無くどこも満室で宿無しのさきさんにはこれしかなかった。シングルベットで頭と足を反対にして数時間仮眠して朝4時半に起きてシャワーをして仕度をした。関門トンネルは朝6時開門であった.

夜明け前の小倉を走り朝6時関門トンネルに着きトンネルの地下道を通って本州に上陸.これがやりたかった。下関から金沢までずっと北東航路、しかし予想に反して北東の強い向かい風じゃないですか.聞いてないっす、向かい風に押し戻されながらひたすら北上、長門の手前だったか沿道から大声で声援してくれる方がいた.以前瀬戸内の島を仲良く走った地元の方だった.有り難うございます、励みになりました.

風は延々と向かい風、ただ二人だから先頭を変わりながら走る.僕は久しぶりのチャリで足が痙攣し始めた.単独なら痙攣しないがさきさんのペースに引きずられ無理をしたため何度も立ち止まり足をマッサージしてリカバリーした.痙攣を避けるためには自分が先頭でマイペースで走るしかない.向かい風と痙攣に耐えながら気合いで距離を伸ばす.

萩市到着は昼頃そろそろ今日の宿を決めなければ、連休と言うことで今日走り抜く予定の浜岡は全く宿が取れなかった.辛うじて郊外の民宿が素泊まりで良かったらと受けてくれた.浜岡まで小倉から210km、余裕の予定だったが強い向かい風と足の痙攣の影響でドンドン時間は過ぎていった.宿の到着は暗くなる.その前に晩飯を、国道沿いにメシ屋は無くもう民宿間近と言う場所でラーメン店に入った.しかし何かへん、店内が臭い、店員の態度が横柄。出て来たラーメンに愕然、臭い。こんなラーメンあるんかい。僕もさきさんもほとんど手を付けずに店を出た.

さらに重大なトラブルが起きた。ハンドルに付けてあるGPSのホルダーが折れてグラグラしている.これはまずいとっさにコンビニに駆け込んでテープを買ってハンドルにグルグル巻きにして難を逃れた.宿に着いたのはもう真っ暗の夜7時前、民宿は3000円の安宿だったが眠れる場所があるだけで十分満足宿の人たちも皆良い人だった.宿に着いてすぐにお風呂に入って疲れ果て横になった.晩飯が食べれなかったのは痛いが疲れ果てて食欲も無かった.あっという間に深い眠りについた.初日は朝から14時間頑張って210km稼ぐのが精一杯だった.

京都駅

乗る新幹線を間違えて焦った.列車内で車掌にこれ違うと指摘されガーーーン

小倉駅前ホテル

駅で寝ると言うさきさん、僕のシングルで仮眠してもらった。狭いベットで愛を確かめた。

関門トンネル

左山口県 右福岡県

関門海峡トンネル

さあここからひたすら日本海側を北東航路へ

一路浜田市へ

平坦な道のりではなくアップダウンは多い、ずっと強い向かい風

ギター侍

この学生滋賀から沖縄を目指していた。たくさん荷を付けているだけでなく、ギターを背負って旅していた。

後輪のスポークが折れ途方に暮れていた。

サーファー

この日強い風で波も高く多くのサーファー遊んでいた.

夕暮れの日本海

もう浜田着は真っ暗確定

日本海の荒波

白波が風の強さを物語っている

 

二日目10/10(月)

浜田市の民宿で午後9時に寝て深夜0時過ぎに起きた.今日は香美まで300km以上走らなければならない.予報では今日も強い向かい風らしい。深夜1時に宿を出た。浜田から松江までは深夜走行、工場の煙突の煙が真横にたなびいている.浜田からはアップダウンの連続、登っては下りのひたすら繰り返し.これを修行と言わずして何と言おうか、昨日足は痙攣しまくったが足は慣れもう痙攣しなくなった.交通量は深夜で多くはなかった.日本海の波の音は聞こえるが暗くて全く景色は無かった.

夜明け前の4時もう眠くて仕方無く、出雲の道の駅で10分仮眠した.体は楽になった.出雲大社に寄り道したかったが向かい風を考えたら最短距離で走りたくてパスした.出雲のファミレスでようやくまともな食事が出来た.松江市内に入り予定の講演会に参加して時間は無いので観光はパスして再び鳥取に向かう.

海岸線は普段から風が強いのか大きな発電風車がたくさん立っていた.すれ違うチャリダーは追い風に乗って新幹線の様に早い、こちらは平地のダンシングでも20kmも出せない.今日は島根、鳥取、兵庫まで走り抜けたい.米子で早めに宿を予約.さきさんと相談して兵庫の香美まで頑張って走り抜ける予定だった.果たしてこの風の中何時に着くか.

米子を過ぎると右手に大山が見えた.大山を見ながら鳥取を目指す.さきさんもかなり膝が痛そう.鎮痛剤を飲みながらの走り.先頭を変わりながらひたすら我慢の走り.鳥取市に入りさきさんまさかのリタイヤ、鳥取駅から列車に乗ると言う.色々事情があるようだが心のうちは分からない.一緒に這ってでも金沢に走りたかった.すぐに宿に電話して一人キャンセルを申し込んだ.おまけにジャージの背部ポケットに入れていた1万円の新品のクオカードが無くなっていた.走行中に飛んでしまったようだ.ダブルのショックだった.

ここから俄然火が付いた.逆境になればなるほど強くなるのが自分の性格.残り70km単独で向かい風に向かう.風は全く弱まらなかった.しかし本当の試練は鳥取から香美までの海岸線のアップダウンであった.予想はしていたがこれほどアップダウンが多いとは.もう宿到着は真っ暗確定.

峠手前でからすとカモメが死闘を演じていた.道路には血が点々と、これは仲裁に入らないと、見るとカモメがカラスの首を加えまさに餌食にしようとしていた.コラー!!近づくとカモメが飛び去った.カラスはようやく助かったと言う顔をしていた.香美の手前にもう一度峠越えがあり最後下ってようやく午後6時半宿に着いた.

民宿大吉は立派な温泉だった.さきさんのキャンセルついでに新館とカニのフルコースに変更しておいた.部屋は立派で新館貸し切りでお風呂も3カ所と贅沢だった.昨日は3000円の宿だったが今日は贅沢させてもらう.この日315kmを17時間半かけて走り抜け走行距離も500kmを越え最大の山は越えた.金沢まで残り350kmもう気は楽だ.

ただ疲れ果ててカニのフルコースは半分ほどしか食べられなかった.とにかく眠たい.強い向かい風のワンディ300km越えやさきさん離脱で僕はもう限界寸前だった.

いざ浜田の民宿スタート

今日も3時間仮眠で、深夜1時行くしかない

仮眠

夜明け前道の駅で仮眠

宍道湖着

ようやく来た

松江が見えた

松江市内はパス、先を急ぐ

大山

大山 一度は山頂から滑りたい

走行方向へ風車が激しく回る

激しく回る風車

鳥取手前

さきさんももうかなりヤバそう 鳥取でリタイヤ

岩美の海岸にて

夕暮れ迫る 急がなきゃ

香美手前は峠のアップダウンが続く

マジ辛かった

民宿大吉

ようやく宿に着いた. もう限界マジか

カニのフルコース

半分しか食べれず、この後のかになべはパスした。ご飯も一口も取れず

 

三日目10/11(火)

さて最大の山場は越え残り金沢まで350km、三日目は一旦南下して豊岡から宮津、舞鶴、小浜、敦賀に抜けここで宿泊の予定.この日は200km走れば良いだけだ.朝4時過ぎに目を覚ましてこの日も暗闇の中宿を出た.しかし豊岡までの国道はどうも自動車専用道路みたいでチャリはどこを通れば良いか迷った.国道が走れればトンネル群でアップダウンは無いのに、、、、残念

なら今日はヒルクライム三昧にしよう。今日は風の影響はしばらく受けないが坂の影響はメチャありそう.香美からまず山岳道路に入って峠を越えて豊岡に入る.かなり難儀な峠だったが既に強い向かい風に鍛えられた脚には問題ない.クネクネ九十九折を登りようやく峠に来て下ると集落があった.この集落からまた次の峠を越えトンネルを通過すると後は下り基調で豊岡に入った.

国道沿いに吉野家があったので飛び込んで牛丼を食べた.豊岡はコウノトリの町と言うことでコウノトリ公園に寄った.少し観光して宮津へ向かう.普通の国道で行けば全く問題がないが地獄の完成度を高めるためこの日は峠周回コースで宮津を目指す事にした。

いくつ峠を越えただろう.最初は数えていたがたくさんあり過ぎて忘れた.七つは越えただろう.思ったより数はありおかげで時間はかかり過ぎた.あんまりのんびり出来ないと思った.下手すれば今日も宿着が暗くなる.宮津は天橋立が有名.高台に登ればよく見えるが時間が無いのでパス.記念写真を撮ったらすぐに舞鶴を目指す.舞鶴までは初めて追い風になり35kmくらいの高速走行となった.やはりチャリは追い風に限る.

あっという間に舞鶴に着いて海上自衛隊を見学した.そろそろ昼となり腹が空いたので定食屋に入った.ささみ丼はフワフワして最高に美味しかった.舞鶴から敦賀までの国道は道が狭い上に大型車がバンバン通るので注意しなければならない.この辺りは交通事故も多くて敦賀市民病院で研修医をしていた30年前は毎日の様に事故搬送があった.ダンプにひかれて亡くなった人ももちろんいた.大型車が脇を通ると風圧で体が揺れた.このあたりは本来は夜中に走るのが安全だと思った.

小浜の手前で青葉山が見えたのでバックに写真を撮ろうと路肩に止まった.自転車を立てかけて少し離れた瞬間、スローモーションで倒れた.ただ倒れたのでなく道路からコンクリートの海岸へ3m落ちてガシャーーン、やっちまった。自転車は壊れただろう.ただでは済まない,ここで旅も終わったとマジで思った.恐る恐る下に下りて自転車を見たら塗装は剥げている箇所はあったがギア、ホイール、ハンドル、GPSその他全く壊れてなかった.奇跡だった.神が味方してくれた.安堵して再びチャリにまたがり再スタートした.

小浜を過ぎて三方に入ると敦賀はもうすぐだ.しかしこの日は朝から胃の調子が悪くて胸焼けが辛くてずっと薬局を探しながら走っていた.三方で薬を買って飲んでみたが今一だった.ガスターは薬剤師がいないからと置いてなかった.胸焼けを我慢しながらペダルを漕いでようやく夕方敦賀に入った.

この町には半年暮らしたので思い出深い.病院は今は立て替えられて新しくなっている.それにしても市民病院は忙しい病院だった.当直時は一晩中救急車が絶え間無くやって来る様な病院で僕はここで随分鍛えられた.民宿は敦賀湾にある宿であった.

日没寸前宿に着いた.この日はヒルクライム三昧の200km、12時間行動だった.宿には工事関係者が多く泊まっていて賑やかだった.おかみは二人いて一人はとても優しかったがもう一人は口が悪くて少しムカッと来たが喧嘩をして宿を追い出されても困るので我慢した.8000円にしては食事もまずまずだった.海を見ながら早々に熟睡した。

豊岡市内にて

この町は盆地で朝霧がきれいだった

豊岡と言えばコウノトリ

付近を探したが見当たらなかった

豊岡からヒルクライム三昧

山岳道路に入ると最初数えていたが途中から忘れるくらい多くの峠を超えて行った

天橋立

ようやく到着ここからはもうそれほど峠はないはずだ

舞鶴

自衛隊の艦船がたくさん停泊していた

ささみカツ丼

舞鶴のおばちゃんの店、美味しゅうございました

青葉山

ここでチャリが倒れて3m下のコンクリートに落下した.

敦賀湾

夕方敦賀湾の民宿に着いた

 

四日目10/12(水)最終日

さて今日は旅の最終日敦賀から金沢まで残り150km、もう楽勝ムードが漂う午前中には着くだろう.越前海岸までは狭い国道を走るので交通量の少ない夜明け前に抜けよう.今日は深夜2時に宿を出た.深夜と言うのに国道8号線は大型車が多かった.昼間は避けたい.ガンガン飛ばして越前海岸に入ると途端に車はいなくなった.越前海岸は遠回りだが安全第一である.

昼間なら景色は良いだろうが暗いので何も見えない.ただひたすらペダルを回すだけ.今日も朝4時頃になるとメチャ眠気が差して来た.バス停に入って椅子を並べて仮眠した.越前岬手前のコンビニで休憩して補給した。もう辺りは少しずつ明るくなって来た.

この日は風はほとんど無く快適高速走行が出来た.三国から朝のラッシュが少しあったが概ね走りやすかった.この辺りで右手に白山が見えた.朝日も上がり素敵な朝になった.芦原温泉を抜けて加賀に入るとようやく石川県である.

加賀からも交通量の少ない海岸線を走る.小松から待望の追い風になりガンガンペースは上がる。安宅の関で弁慶と記念写真を撮り白山市に入ると医王山が見えた.本当にもうすぐだ.松任からのしおさいロードはダンシングでビクトリーランだ.

しおさいロードを過ぎると自宅までもう数キロ、ゴールが見えた.863km九州から長い長い辛い道のりだった.後半の400kmは単独走行だったが気合い入れまくりでかなりペースは早かった.マイペースはやはり大切だと実感した.

初日が雨予報でなければ金沢からスタートしてずっと追い風を受けて九州まで走れたはずだが、逆風が吹くのも人生、おかげでより充実した旅が楽しめた.向かい風で苦労してこそ追い風の有難さが分かる.多分もう同じ企画はやらないだろう.次に狙うとすれば金沢から青森ロングライドだろうか.

越前海岸の港

越前岬まではまだ暗闇だった

夜明け

越前岬を過ぎてようやく夜が明けた

ウォーっ

さあ気合いで金沢行くよ

白山

白山方面から日が登った

芦原

朝日が眩しい

加賀市に

九州から長い道のりでした

弁慶と力比べ

弁慶に負けない様にチャリ持ち上げます

ようやく自院に

ようやく自院に着きました。一生の思い出作りになりました。

863kmの完全燃焼

863kmの道のりが全て蘇るのがチャリの旅の素晴らしいところです

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