初代ジムニー(LJ20-F)

子どもの頃の出来事
 ボクがまだチビのころ、我が家に一台のジムニーが存在していた。(ウチでは『ジープ』と呼ばれていたが…。)  残されている写真は、昭和54年(1979)、私の小学校入学式の記念写真の片隅に左側の後ろから、僅かに写っているモノしかない…。
 スペアタイヤが室内の助手席の後ろにあるタイプで、オーバーフェンダーのついていない型であった。幌は今のSJ30のように、リアの部分が高くなっていないモデルだ。 360ccの水冷で、ナローボディといわれてるLJ20-1型か2型だ。黄色のウインカーレンズが、1灯なら1型だし、2灯なら2型なんだけど、どうにも資料が残ってない…。

 このジムニー、父親の本家が経営していた内灘海水浴場の浜茶屋の地引網の仕事に使うために購入したもので、夏に幌をとってフルオープンで乗っていた記憶が鮮明に残っている。
 当時3歳か4歳だった妹(長女)が、母親が運転する走行中のフルオープンのジムニーから転落するという事故もあった。 幸いにも大事には至らなかったが、後続車がいたらどうなってたんだよって感じだよなぁ…。法律でチャイルドシート着用が義務付けられている現在では到底考えられないことだが…。

 で、このLJ20なんだが、内灘海水浴場の浜茶屋の営業が終わってから、数日間浜茶屋前の駐車場に停めて置いてたのだが、父親と海岸をドライブに行こうとしたところ、 両サイドのミラーが紛失しているのに気づく。よく見ると、四本のタイヤがすべて盗まれててブロックがかませてあるではないか。そして翌日回収しに行ったところ、 ボンネットの中のエンジンが無くなっているではないか…。最終的に廃車にしたのである。昭和55年(1980)8月下旬、夏の終わりに起きた悲しい出来事である。
 チビだったころの私は、大きくなったらこのジムニーを運転したいと思っていただけに衝撃的な事件で、ショックも大きく、道路でジムニーとすれ違うたびに、 ウチのジムニーではないかな…と疑いの目を持って眺めていたのであった。『将来、必ずジムニーに乗るぞっ!!』と強く決意したきっかけでもあった。


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