FILE10  イソスミレ Viola grayi Franch. et Savat.    (Violaceae スミレ科)

 海岸砂丘の上部で大群落を作っています。「磯」というのは岩石海岸を指す言葉ですから、砂丘地に生育するのに「磯スミレ」というのは納得できませんが、かといって別名の「セナミスミレ(瀬波スミレ)」というのも、日本で最後にして最大の群落地を擁する石川県としては、いささかすっきりしない面もあるので、ここではあえて「イソスミレ」と呼ばせて頂きます。(セナミスミレの由来については、本FILEの最後に解説いたしましたのでご覧下さい。)

 イソスミレの最大の特徴は、花も大きいのですが、何と言っても株が大きく育ち、ドームのように盛り上がることです。そのような株の大群落で4月下旬、砂丘が紫色に煙って見えるのは実に壮観です。

 

図1 イソスミレの最新画像2005年4月19日
1999年以来、久しぶりの大群落に遭遇できた。増えたこともあるのだろうが、花期の最高の時に訪問できたことも大きいようだ。

図2 イソスミレの最新画像2005年4月19日



1999年の様子

図3 イソスミレ群落(1999年4月17日)。このように広い範囲にわたって密集した群落はこれ以後、2004年4月現在に至るも、見ることができなくなっている。



2001年の様子

図4 イソスミレ群落(2001年4月22日)

 1999年は図3のような大群落でした。図4も同じ場所の2001年の様子です。 打って変わって寂しい状態でした。その原因は、前年(2000年)夏の猛暑で、この海岸全体で推定3割程のイソスミレが枯死したことによると考えています。



2002年の様子

図5  図3・図4と同じ場所の冬景色。砂がハマハタザオの枯れた茎を残して全てを覆い尽くしている。
イソスミレも砂の下だ。今年の冬の砂の堆積は異常だ。(2002年1月14日)。

図6 まことに残念なことですが、今年はこの砂漠状態からの復活は困難でした。(2002年5月6日)
砂丘の頂上部付近は砂の堆積が少なく、株が育っていたが、砂丘の窪みに当たる手前の方では、砂の堆積が15cmほどもあって、イソスミレは完全に砂に埋まって、抜け出すことができなかった。

 2000年夏の猛暑に続き、2001年から2002年にかけての冬季の被砂がこの場所のイソスミレ群落の衰退に追い打ちをかけたものです。




2003年の様子

図7 2003年4月19日。上の方にはイソスミレの復活が見られたが、中央部分ではイソスミレを見ることはできず、ハマゴウが勢力を伸ばしてきている。図3(1999年)と比べた衰退は著しい。




2004年の様子

図8 2004年4月22日。 図7(2003年)とほぼ同じ範囲を写したもの。画像が小さくてイソスミレの株が分かりにくいのが難点だが、この画像の範囲ではイソスミレの拡大は見られない。昨年と比べて、ハマゴウとハマヒルガオの勢力拡大だけが目立つ。




2005年の様子

図9 2005年4月19日。 図7(2003年)とほぼ同じ範囲を写したもの。今年は花付きがよいせいか、少し盛り返してきているような感じだが、まだまだ回復には遠い道のりだ。衰退はしていない。

 
(この群落地の大画像(1200×900 406KB)を ここ に掲載しました。今後、群落地の様子がより分かるように、毎年追加していくつもりです。通信環境の許される方はどうぞご覧下さい。)



 2002年には厚く覆った砂で、イソスミレはおろかハマハタザオも復活できませんでした。砂丘の尾根近くのところでわずかばかりの開花が見られただけです。この海岸のイソスミレ全体から言えば、他にも群落地があるので、滅びたということではありませんが、私が例年観察しているこの場所での衰退ぶりは著しいものがあります。
 そこで、砂の下ではどういう事が起こっているのかと、砂を掘ってみることにしました。かといってむやみに掘るわけにも参りません。いいことに気づきました。イソスミレの株の間からハマハタザオが生えていることが多いので(図15)、ハマハタザオの枯れ茎を目印にして掘ることにしました。でもハマハタザオも見つかりません。よく砂丘を見回すと、次の図のように小さな葉がわずかに顔を出している場合のあることが分かりました。ここを掘ろう。

図10 小さな葉をわずかに砂から出している株(2002年4月29日)

 掘り進むと、もやしの大群に出会いました。

図11  もやし状のイソスミレ。(2002年4月29日)  

図12 もやし状の若葉 図13 少し葉の形が見えている 図14 托葉部分ももやし状


 比較的浅く砂に埋められた場合には、もやし状になりながらも地上へ顔を出すことができ、遅ればせながら、株を復活させることができます。これが深くなると、地上へ出る時期まで栄養分がもたなくて枯れてしまう怖れは否定できません。今後を見守りたいと思います。
 5月になっても、地上へ顔を出すことのできない株が多いようです(図6)。

図15 ご安心ください。元気な株もたくさんあります。株の間からハマハタザオが伸びている。(2002年4月14日)

図16 上の図15と比べてよく見て下さい。時期が5月ということもあって花が少ないこと以外に、どこが違うかお分かりでしょうか。(2002年5月6日)


図15では、株の根元に枯れた夏葉(茎)がスカート状に広がって見えますね。
図16にはそれがありません。なぜでしょうか。それは、砂に埋められた株だからなのです。
掘ってみると、図11と同様な「もやし状」の茎がありました(図17)。およそ9cm掘り進んだところで、黒く腐った夏葉(茎)の層に到達しました(図19)。この夏葉(茎)は採集して標本にしました。
 これは9cmの深さから蘇った株だったのです。

図17 掘るともやし状の茎が見えてきた。 図18 枯れた夏葉(茎)の層にメジャーを立ててみると、 砂の堆積が約9cmであることが分かる。

図19 地表から9cmの深さに、昨年の夏葉(茎)が黒く腐って埋没していた。

図20 さらに掘り進むと、地下の茎が複雑に枝分かれしている様子が分かった。枯れた夏葉(茎)の残骸の様子から察すると1年間の生長量は、この株の場合、約2.5cmのようだ。

 この後、砂で埋め戻し、原状に復帰させたことは言うまでもありません。ただし、掘り出したことによるいくつかのダメージについては、まことに申し訳なかったと、おわびしなければなりません。


 2000年夏は猛暑でした。自生地を訪ねたところ、夏枯れが目立ちました。3割近くの株が枯れたと見ました。表面だけかと思い、掘ってみたところ、地下の茎も枯れておりボキボキと折れてしまいました。完全に枯れていました。

図21 多数の株が夏枯れしている。黒く見えるのが枯れた株。(2000年9月) 図22 風化した枯株。(2001年4月22日)

図23 冬枯れ  冬を迎えて夏葉は枯れて、スカートのように株の根元を覆う。株の中心部分では、冬越しの葉が枯れた枝に埋もれて、冬の季節風・雪・砂から守られている。(2000年12月16日)

図24 冬。海から吹き寄せられた砂がイソスミレの株を覆う。(2002年1月14日) 図25 冬。図7と同じ株で、砂を払いのけるとみずみずしい越冬葉が現れた。この後、また砂で隠しておきました。(2002年1月14日)

図26 冬。風の強いところでは、砂が吹き飛ばされて、地下茎が露出していることもある。まだ、完全に枯れてはいないようだ。がんばれ。(2002年1月14日) 図27 冬。風当たりの強すぎるところでは、砂が貯まらないで株が露出している。夏葉は枯れているが、越冬葉は元気だ。夏葉と越冬葉には何か生理的な違いがあるのだろうが、私の力では、そこまで解明できない。(2002年1月14日)

図28 厳しい冬の寒さで、越冬葉の所々が凍傷を起こしている。(2002年1月14日)

図29 枯れたように見える株の一部に、小さな苗が育っている。(2001年4月22日)

図30 図29の左側の苗を掘り出した。地下の茎の不定芽から伸びた苗であることが分かる。(2001年4月22日)

図31 不定芽から育った苗の地中部分はもやしのように白い。(2001年4月22日) 図32 地下の茎の不定芽から伸びた苗

 図21の夏枯れと図23の冬枯れとは内容の異なるものです。冬枯れは、古い葉が枯れて、スカートのように根元を覆い、越冬葉を冬の季節風・雪・砂から守っている姿です。春になれば越冬葉が展開し花も咲きます(冬に枯死する株があることを否定はしませんが)。枯れた株の中には図21のように、風化して散り散りになってしまったものもありました。しかし中には、図29のように、枯れた株の中に、小さな緑を見ることのできるものもかなりありました。失礼して、根を掘ってみましたら、地下の茎の一部から、不定芽が伸びだして、小苗に育ったものであることが分かりました。(図30)

 図20で見たように地下では茎が複雑に枝分かれしています。それはまるで竹箒のようでもあります。地上部にはそのような枝分かれして立ち上がった姿は見られないので、これは砂に埋められて枝分かれをしていくもののようです。図30〜32のように、地中で不定芽が発育して複雑な枝分かれをしていきます。竹箒の先端だけが地上に顔を出している姿を想像してみて下さい。この竹箒が大きければ大株ということになります。しかし砂の堆積も限度の問題で、図6のように一気に15cmも堆積してしまうと生存自体が危ぶまれてきます。本来、砂に埋もれることはイソスミレにとっては迷惑なことなのです。
 そう考えてくると大株は見た目には見事でありますが、イソスミレの必死に生きる姿であることが分かります。砂の堆積もほどほどに願いたいものです。

(何ともしぶとい。こうやって長年、海浜の厳しい環境に耐えてきたのですね。イソスミレにおける、地下の茎の枝分かれ、枯死、小苗の発生はとても興味深い研究材料だと考えています。ただし、これを研究するためには株を掘り起こさなければならないのが難点です。)

 この小苗が大きく育つ数年後には、再び図3のような大群落が復活することを祈りましょう。それまでに、また夏枯れで滅びなければ。さらに深く砂に埋められなければ。しかし、ハマゴウに覆われてしまいそうで心配です。

図33 イソスミレの大株(1999年5月1日)ドーム型に盛り上がるのが特徴。ドーム状にならない場合もある。

図34 花(2005年4月19日) 図35 花(1999年4月17日)
図36 果実 図37 種子とエライオソーム。目盛りは0.1mm。
エライオソームについてはアオイスミレのFILEで詳しく説明してあります。ここをご覧下さい。

図38 埋もれた砂から懸命に顔を出して咲く花(2001年4月22日)

図39 最後にほほえましい話題を。イソスミレの芽生え(実生)です。早く大きくなあれ。(2003年5月13日)

図40 大株の下にいくつもの実生苗が見える。はたしてどれだけのものが大人にまで生育できるのだろうか。(2003年5月13日)

 イソスミレは、「夏の乾燥」「冬の砂の堆積」に耐えて生き続けてきた健気なスミレだったのです。

 この海岸のイソスミレは、いがりまさし著(日本のスミレ)で「最後に残された本格的な群落」と紹介され、「現段階では多数の人が訪れることによる群落への影響をはかりかねることもあって、詳しい地名を公表しないことにした。」となっているものです。私も地名は伏せさせていただきました。

セナミスミレ
 柴田 治氏(新潟県村上市の「セナミスミレ」を育む会会長)から頂いた資料には、セナミスミレに関する思い出として、
『昭和3年7月のこと、牧野富太郎博士が採集旅行に来られて、瀬波温泉(養心亭)に一泊、砂丘に茂ったスミレに注目された。このスミレは「イソスミレ」と命名されている種類であるが、瀬波海岸のものは地下茎が特別に発達していることから、別名として「セナミスミレ」がふさわしい、と提唱された。そして、宿の芳名録には次のような自作の和歌を残して旅立たれたのであった。「わが齢六十七の若ざかり竜には負けじ駆けくらべせん」(昭和3年は戊辰の年)』との記述があります。


花模様