『気高き青の弾丸』
WRITTEN BY 霞月洋祐
松原葵は少し変わった女の子であった。
本人がどう思っているかは知らないが、少なくとも友達らしい友達など私の知る限りはいない。
というか、葵自身が他の女の子とは全く違った世界を夢見ている為、周りがついていけないのだ。
まあ、誰一人としてついて行こうなどとは思わなかっただろうが。
そして同時に、葵もまた他の女の子の話なんかにはついていけない。
これで友達と呼べる人間ができたら、それはそれで怖いものがある。せいぜいがクラスメート、
知り合いといった程度だろう。葵はそれで満足なのか?いいや、満足なんかする必要はない。
なぜなら葵にとっての興味の対象というものが、全く違ったところにあるからだ。
エクストリーム。おおよそ女子高校生の大多数が無縁であるこの格闘エンターテイメントに
葵はどっぷりとハマり込んでいる。
いや、エクストリームというよりはその舞台で一躍有名になった格闘家、来栖川綾香に憧れ続けて
ここまできてしまった、とでも言ったほうがいいのだろうか。
とにかく、葵はエクスリーム出場を目指して今日まで練習をしてきたのだ。
なにはともあれその腕前、とくと見せてもらおう。
葵の目標であった、このエクストリームの舞台で!
「とうとう来ちゃいましたね……」
葵がつぶやく。ウレタンナックルを着けた右の手のひらを、忙しげに握ったり開いたりしている。
葵にとっては初めての『闘い』の場なのだ、緊張するのも無理はない。
そうでなくたって葵はアガリ症で、中学の、まだ空手をやってた時に出場した小さな大会でも
緊張でガチガチに固まってしまって、見るに耐えない醜態を演じてしまった事があった。
「大丈夫、いつもの葵ちゃんでありさえすればきっと優勝できるさ!綾香や坂下と比べれば、
一回戦や二回戦の相手なんざぁ、弱くて弱くて物足りない位だろうよ」
「そ、そんな先輩。私なんかまだまだですよ。好恵さんに勝てたのだって偶然と運が重なっただけですし」
「でも、勝ったじゃないか。ボロボロになりながらも最後の一撃を放つことができたのは、
葵ちゃんの実力に他ならないだろ?」
「先輩……。あ、あはっ、なんだかテレちゃいますよぉ。もうっ!」
「うーん、かわいいぜ葵ちゃん。」
「先輩〜!」
なにをラブラブしてるんだか。
ちなみにさっきから余計なことを言っているこの『先輩』とは、数ヵ月前から勝手に葵のコーチを
自任しているお調子者で名前を藤田浩之という。
「さてと、10分前だ。準備はいいかい?」
「はいっ、先輩。身体は暖まってますし、気力も万全です!」
「よぉぉし!一発いってみようか、さあ!」
藤田がバイオミットを構える。
「いきます!」
ずぱんっ!
………なんとも寂しげな音が控室に虚しく響く。
「…おいおいどうしたのさ葵ちゃん?全然体重が乗ってないじゃないか。」
藤田がミットを降ろして困った顔で嘆いている。
葵の必殺技ともいえる右ハイキックがあれでは、他の技なんか実戦の役には立ちはすまい。
誰が見たってそうだろう。
「す、すみません先輩。あれれ?ど、どうしちゃったのかなぁ私ってば……」
‥‥‥‥‥長い沈黙が支配する。藤田は真顔で葵をじっと見つめ、葵はすまなそうに下を向いて、
時々藤田の方をちらりと見てはまた視線を床に戻す。
「………………」
「………………」
「なにが…吹っ切れないんだ?」
静寂を先に破ったのは藤田の方だった。
「なに、ってことも……ないんですけど…」
葵はまだモゴモゴしている。
「言えよ…」
藤田の言葉に葵の身体がビクッ!と震える。少しきつい口調だった。
「あっ、あのっあのっ!私は、その、わ、私はぁっ……」
気圧されたのか、葵はしどろもどろになっている。
フゥ、と藤田は息を吐き、しかたがないなぁ、という顔でミットを床に投げ捨てると、葵の後ろに
まわり込んで立った。何をするつもりなのか。
「??? …あの、先輩?」
葵も不思議そうに、背後に立つ藤田を見やる。と、突然、藤田が葵に抱きついた!あんの色気違い!
「ひゃああっ!?」
葵が堪らず叫ぶ。
「先輩?あっあっあのう、その、これは一体ぃ!?」
「教えてくれよ、葵ちゃん。」
静かな声、だった。おおよそ藤田らしくもない、慈愛の様なものに満ちた、優しい声。
「先輩……?」
「どんな些細なことでもいい、葵ちゃんの不安を全部オレに聞かせてくれよ。」
「えっ……?私には不安なんて……」
「オレは、葵ちゃんの、何だ?」
「えっと、……………恋人…です…か?」
「嬉しい答えだな、でもそれだけじゃないだろ?」
「えっと、えっと、あのぅ……」
「…坂下のときも言ったろ?オレは葵ちゃんのコーチなんだぜ?」
「あっ!……」
「コーチの試合前最後の役目を、果たさせておくれよ、葵ちゃん。」
「先輩……先輩……っ!」
葵は泣いていた。大粒の涙をボロボロ流しながら、必死に声を漏らすまいと耐えながら、
小さな身体を震わせて、後ろから廻されている藤田の腕を抱きながら。
「私、来たんですね…。とうとう…綾香さんと同じ舞台に立つことができたんですよね…。
ウソじゃないですよね、夢じゃないですよね。私、本当に…本当に……ううっ」
藤田は微笑みを浮かべ、泣きじゃくる葵の髪をそっと撫でて頭をポムポムと叩いた。
「大丈夫。オレが証明してやる。葵ちゃんはこれから、本物のエクストリームの試合に出るんだ。
そして勝つ!勝って勝って勝ちまくる!」
そこまで叫ぶと藤田は葵を持ち上げ、空中でくるりと半回転させた。
「ああっ!先輩!?」
「後ろ姿にいつまでも語っている、ってのも難だからな」
「あ、そうです…よね」
「もう、迷わないよな!?」
「…ッ!ハイ、もう迷いません!!」
「よおぉぉし!」
お互いの息が相手にかかるくらい近い距離で叫びあう二人。
「答えろ!松原葵はっ?」
「つっ、強いっ!」
「気迫が無い!もう一度!松原葵はぁっ?」
「強いっ!!」
「もう一度ぉ!」
「強いっ!!」
「自分で言えっ!!」
「私は強い!誰よりも強い!!絶っっ対に負けないィィィッ!!!」
「よおっしゃぁぁぁ!!」
藤田が葵を地面に降ろして、さっきのミットの所に駆け寄る。
「ラストだ!来い、葵ちゃん!」
「はいっ、行きます!」
葵は涙を拭うと、キリッと気合いの入った顔になった。いい顔だ。惚れ惚れするくらいに。
「ちぇりゃぁぁぁ!」
ズバァァァァンン!!
……素晴しい音だ。ガラスがビリビリと震え、空間が揺れ、藤田が吹き飛ばされている。
全てにおいて、決まった!といえる見事なハイキックだ。
「きゃぁっ、大丈夫ですか先輩?」
葵が慌てて駆け寄る。一方、藤田は前転の途中みたいなカッコで壁に押し付けられている。
「ははっ、だいじょうぶだいじょうぶ。それにしてもすごいキックだったぜ!」
藤田は何でもなさそうに言ってはいるが、その眼の焦点は合っていない。
頭を打ったか、マヌケめ。
「これならイケるな」
「ハイッ!先輩のおかげです。」
やぁれやれ、まだ試合前だというのに、これじゃあ先が思いやられるわね。
でも、いいものを見せてもらった。藤田と葵の合体パワーが如何程のものか、試合でキッチリ
見せてもらおうじゃないの。
向こうのコーナーで葵がオロオロしている。ポスト側の藤田に至ってはポカン、と開いたクチが
本当に塞がらなくなっているようだ。ふふっ、それもそうか。
ジャッジの声がマイクを通して会場に響きわたる。
『赤コーナー、松原葵!』
「は、はいぃぃっ。」
なんと気の抜けた声だろう。
藤田の努力も甲斐なし、か。よおし、ここはひとつ、眼を覚まさせてやるか!
葵、これはウソでも夢でもない、現実よ!
『青コーナー、坂下好恵!』
「葵!抜け駆けは許さないわよ!」
私は気迫に満ちた声と共に葵を指差す。
また葵と闘える!そして今度こそは負けない!
私は自分の身体が、次第に熱く熱くなってゆくのを感じていた。
了